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失われゆく森の知恵に募る危機感 アフリカ サンガ川
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アフリカ第2の大河、コンゴ川。その支流の一つサンガ川を後に、4人乗りの細い丸木舟は、森の中を縦横に流れる小さな流れにこぎ入った。舟の前後にかいを手にして立つ2人の先住民の男性が声を掛け合いながら、細く入り組んだ水路を迷うことなく進む。
しばらく行くと、周囲の熱帯の森はいつしかヤシの林に姿を変えていた。浅い川の中から多数のヤシの木が高さを競い合うように立ち、その向こうから、何人もの男の明るい声が聞こえる。
川に浮かべた丸木舟に座る男たちが指さすヤシの木の上から、ノミのような道具で硬い樹皮を打ち抜く鋭い音が響く。樹上の若者は、木にうがった穴から出た樹液を容器に集め、ひもにぶら下げて川面に下ろす。
アフリカ中央部、コンゴ川流域の熱帯林の中で暮らす狩猟民。かつて彼らを呼んだ「ピグミー」という言葉は差別的だとして使われなくなった。
彼らが古くから愛してきた「ヤシ酒」の、今も昔も変わらぬ採取作業を見た。ヤシ酒は、ある種のヤシの樹液が自然発酵した天然の酒で、乳酸菌飲料のように甘く、さわやかだ。
森林地帯で狩猟や採集生活を続けてきた彼らは、成人でも平均身長が150センチ程度と小柄だ。ヤシ酒の採取は、森の中の水路などを知り尽くし、いい酒の採れるヤシの木を見分け、身軽に高い木に登ることができる彼らにしかできない。
まだ午前9時になったばかりだというのに、男たちは、酒の入ったカップを手に既にご機嫌だ。最年長で50代になる男性、ダチ・ラウエの歌声に全員が調子を合わせ、若者が丸木舟の上で巧みにダンスを始める。
彼らにとってのヤシ酒の大切さは変わらないが、その暮らしは近年、大きく変わりつつある。
20年ほど前まではほとんど衣服も着けず、森の中の小屋に暮らしていた「森の民」の多くが、今では農耕民とともに村で暮らすようになった。
ヤシ酒やキノコ、動物や魚といった森の恵みを対価にした物々交換は廃れ、今では貨幣経済が主流となった。彼らは今、ヤシ酒を売って現金収入を得る。
やりを使ってゾウを倒すこともあった伝統的な狩猟に代わり、今では銃による猟が主流だ。貧しくて銃を買えないため、農耕民から銃を借りて猟をし、獲物と引き換えにわずかな金を得る。報酬が獲物の脚一本であることも少なくない。
文字を持たない彼らは、経験と口伝えで森の知識を次世代に伝える。女性たちは生まれたばかりの子供を抱いて森に入り、子供は物心がつく前から森の植物の味を体験し、森の豊かさと恐ろしさを知る。
「川のことは小さな水路まで知っている。サンガ川の水も昔はもっときれいで飲むこともできたし、乾期に川をせき止めると大きな魚がたくさん捕れた」。森の中のこけむした倒木に腰を下ろしたモンジョンボが昔を語る。1960年の独立直後に生まれ、ハチミツやワニの肉が大好物だという。今やベテランの域に達する森歩きだ。
「森から出て村に暮らすようになった最近の若者は、川がどこに流れているのか、ゾウの道がどこに向かっているのかをよく知らない。困ったものだ。薬用植物のことを教えようとしても、森にいる時間が短くて満足にはできない」と話す。
この国で20年以上にわたってゾウの密猟防止や環境に配慮した観光業の創設などに取り組んでいる国際的環境保護団体、野生生物保全協会(WCS)コンゴの西原智昭(51)は「森を知り尽くしたモンジョンボのような人はどんどんいなくなり、森の知識が失われつつある。彼らなしには保護区の管理や研究はもちろん、観光業も成り立たなくなる」と危機感を募らせる。
ヤシ酒の収穫を終えた男たちに連れられて、近くの先住民の村にカヌーで渡った。この村でウワマと名乗る一人の老女に会った。彼女の息子、アンボロは40代。モンジョンボが言う「村暮らしの連中」の一人で、WCSの事務所でメカニックとして働く。最近建てたレンガ造りの新居が自慢で「森の中では暮らしたくない」と言い切る。
「村に住んでいても、ちゃんと仕事をしてくれていればいい」とウワマもためらいなく言い、アンボロを頼もしげに見つめる。
森林伐採や象牙目当てのゾウの密猟などによって北コンゴの森の恵みは脅かされ、急速に変わる世界の中で森の知恵は失われつつある。
果たして今から10年後、20年後にも、ヤシの木に穴をうがつ音と男たちの笑い声は、この森の中に響いているだろうか。(敬称略、共同/SANKEI EXPRESS)