ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
スポーツ
【清水直行のベースボールライフ in NZ】世界普及目指し 「伝道師」に
更新
ニュージーランド野球連盟のGM補佐兼代表チーム統括コーチに就任し、ユニホームを着て会見に臨む清水直行さん=2014年3月25日、東京都内のホテル(共同) 新たな道を海外に求めた。プロ野球選手としての現役引退を表明すると同時に、ニュージーランド野球連盟のゼネラルマネジャー(GM)補佐と代表チームの統括コーチに就任することを3月25日に東京都内で開いた会見で報告した。
泣くつもりはなかったのに、こみ上げるものを抑えることができなくなったのは、幼少期から支えてくれた両親のことを思い出したからだ。
とくに母親は、少年野球を始めたころからいつも早起きをして弁当を持たせてくれた。夜遅くまで練習に明け暮れた高校時代は、たくさんの練習着を持っていなかったので、帰宅後に母が洗濯してくれた。いよいよ現役を終えるという瞬間、改めて感謝の気持ちがわいてきた。
13年間の現役生活。一言で振り返ることができるほど、薄っぺらい野球人生ではなかった。初登板は敗戦処理のマウンドだった。2002年に先発転向してから5年連続2桁勝利。エースと呼ばれるまでになった。10年に横浜(DeNA)に移籍。11年に左膝を手術し、翌年に再手術をするも、最後の1年は1軍で投げることができなかった。
必死のリハビリで13年春にヤクルトから入団テストの声がかかったが、直前になっても状態は回復せずに辞退せざるをえなかった。「ダッシュして走り込むことができなくなったら、投手としては終わり」。私の持論だった。それを痛感した13年夏にユニホームを脱ぐ決意を固めた。
第二の人生を考えたとき、目を向けたのが世界の野球事情だった。国際大会には縁があった。日本が初めてオールプロで臨んだ04年アテネ五輪で銅メダルを獲得。06年のワールド・ベースボール・クラシックで初代王者になったときも代表メンバーだった。
13年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、参加国がそれまでの16から28カ国・地域に拡大した。どんな国が新たに参加したのだろう、とインターネットで検索していたときに目に留まったのが、ニュージーランドだった。
世界ランキングは28位(4月6日現在)だが、世界屈指の強豪であるラグビーをはじめ、クリケットなども盛んなスポーツ大国だ。
自身の子供も野球をしているというジョン・キー首相がWBCで予選敗退した直後、「このままでは終わらない」と、雪辱を期す発言をしていたことも知った。野球人口を調べたら、わずか6000人だが、ここ数年で10倍近く増えていた。もしかしたら、野球が強くなるかもしれない。ニュージーランドにかかわることはできないかと、現地の野球連盟と連絡を取った。
初めて現地を訪れたのは今年1月だった。現地でU-12とU-15の代表チームの子供たちを対象に野球クリニックを開催した。日本の子供たちに比べて体格も良く、潜在能力を秘めていた。
コーチ就任会見直後の3月26日から4月4日まで、家族で渡航。オークランドに住居も構えるつもりで、現地の学校事情や物価などをチェックした。本格的な活動はもう少し先になるが、地に足をつけて取り組んでみようと思っている。
「野球の伝道師であれ」。アテネ五輪日本代表監督である巨人の長嶋茂雄終身名誉監督の言葉がいまも脳裏にある。
野球は五輪競技から外れているが、20年東京五輪で復帰する可能性も取り沙汰されている。WBCだけでなく、五輪競技に戻るには、もっともっと世界各地で普及していく必要があるだろう。ニュージーランドでの私の活動もその一環になればと思っている。
ニュージーランドで野球の強化・普及活動に取り組む日々、日本の野球界のことをつづっていきます。(ニュージーランド野球連盟 清水直行/SANKEI EXPRESS)