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【軍事情勢】欧露各軍と博物館の血塗られた関係
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ウクライナ東部のマレーシア航空機墜落現場で、残骸から見つかった人形を持つ親露派兵士。掠奪が行われたケースもあったとすれば、それは受け継がれたロシア軍の「血」である=7月18日(AP) ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領(48)が7月下旬、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(60)に電話で伝えた内容は皮肉に聞こえた。
「親露派民兵は現場で掠奪をはたらいている」
ウクライナ東部のマレーシア航空機撃墜(7月17日)後、遺体や機体の残骸が散乱する現場で、親露派が掠奪行為を繰り返していると、訴えたのだ。英テレグラフ紙によると、親露派勢力の大物幹部は「掠奪が行われたケースもあっただろう。悪い人間はどこにでもいる」と、犯罪を認めている。
◆北清事変での掠奪
「悪い人間」は北清事変が勃発した1900年当時、ドイツにもいた。第二次阿(ア)片(ヘン)戦争(1856~60年)の対清国勝利後、ドイツはじめ列強は中国の一部港だけでなく、内陸部へのキリスト教布教権を獲得。宣教師たちは戦後結んだ不平等条約=特権を利用し、仏教寺院を壊してキリスト教会に建て替えた。
19世紀に入り、租借と称して中国を蚕食していく列強への不平不満がここに爆発する。神が乗り移った者は、銃弾をもはね返す不死身となると信じるなど、宗教色の強い複数の武術組織が「扶(ふ)清(しん)滅(めつ)洋(よう)=清を扶(たす)け洋を滅すべし」を掲げ、教会や内外のキリスト教徒、外国人、輸入品を扱う店などを襲った。さらに失業者や被災難民が加わり20万人に膨れ上がった。《義和団》である。
日清戦争(1894~95年)の報復もあり日本人外交官と、義和団による虐殺に逆上し中国人給仕らを射殺したドイツ人外交官が、到底人間の仕業と思えぬ方法で惨殺された。清国も列強に宣戦布告するに至る。
対抗して、大日本帝國▽ロシア▽英国▽米国▽フランス▽ドイツ▽オーストリア=ハンガリー▽イタリアの8カ国(北京攻略時の兵力順)が派兵する。
北京を2日もかけず占領した連合軍だったが、占領するや欧露各軍は、宮殿や富豪屋敷で掠奪を始める。奪った宝物を換金する「市」までたった。ドイツ軍司令官は「ドイツ皇帝の名による3日間の掠奪」を命令。その後は「自分たちのため、3日間の掠奪」を許可した。
ジャーナリストにして小説家の菊池寛(1888~1948年)が著わした《大衆明治史》や英・邦字紙、西洋人の手紙・日記などを総合すると、最も酷かったのはフランス軍であった。少佐を指揮官に《分捕隊》を組織。黄金の釣鐘など大量の掠奪品を、ジャンク=木造帆船を雇って積み込み、川を下って渤海に碇泊中の軍艦まで運んだ。
◆報酬として「当然」視
フランス軍に並ぶのが、もちろん、当然、やっぱりロシア軍だった。上級将校は部下が奪った高価な掠奪品を横取りしたというから、ロシア軍の“面目躍如”。親露派民兵もマレーシア航空機撃墜現場で、財布はもちろんクレジットカード、携帯電話まで盗み、実際に使用しており、ロシア=ソ連軍の「血」はしっかりと受け継がれている。
英軍も仏露両軍に負けじと《掠奪隊》を組織し、大規模な「荷造り」をして本国に送った。英国海軍は16~18世紀にかけ、堂々と海軍旗を掲げて海賊行為を行ったが、海軍陸戦隊や陸軍も負けてはいなかった。
確かに、19世紀までの倫理観や法体系は現代と異なる。ロシアの思想家レフ・トルストイ(1828~1910年)は、1865年から69年にかけて発表した、フランスのロシア進攻(1812年)→敗北→退却を描いた大河歴史小説《戦争と平和》で、自らの戦争観を吐露している。
《数百万の人たちが、互いに掠奪・放火・虐殺など、あらゆる悪をやってのけ、全世界の裁判所の記録は何世紀かかっても、とうてい集めきれないほど多かったが、この時代には犯罪とはみなされなかった》
戦闘後に命懸けで戦った将兵への「当然」の報酬として、占領地での掠奪は「当然」視されていた。だが、北清事変の前年=1899年、主要国がいわゆる《ハーグ陸戦条約・規則》に調印して以降は「当然」ではなくなった。
◆文化遺産を守護した日本
実は、帝國陸軍も大蔵省に収蔵されていた莫大な量の銀と政府蔵の米・食糧だけは「整然と」鹵獲している。ただし、ハーグ陸戦条約・規則に照らして完全に合法だった。規則第53条は《一地方を占領した軍は、国の所有に属する現金、基金及び有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及び糧秣その他すべての作戦行動に役立つ国有財産のほかは、これを押収することができない》とされている。
一方、46条は《私有財産は没収できない》、47条は《掠奪は厳禁》。56条は《市区町村の財産ならびに国に属するものといえども宗教、慈善、教育、技芸及び学術の用途に提供される建設物は私有財産と同様に取り扱うこと。前述のような建設物、歴史上の記念建造物、技芸及び学術上の製作品を故意に押収、破壊または毀損することはすべて禁止され、かつ訴追されるべきものとする》と定める。
将兵個人はもとより、主体が部隊であろうと宝物や芸術品などは国有・私有にかかわらず掠奪してはならぬと断じている。従って、条約調印国の仏露独英など欧露各軍が行った掠奪行為は明らかな国際法違法となる。尚、帝國陸軍の一部高級軍人が銀を横領したと強調したがる向きがあるが、こちらは帝國陸軍内の軍律の問題である。
むしろ、世界的文化遺産を守護した帝國陸海軍の本質こそ正視し評価すべき。北清事変では北京陥落翌日、王宮の本丸=紫禁城(故宮)の3門を押え、1門を占領した米軍と共に掠奪と破壊を防いだ。
折しも、国共内戦勃発で1948年、国民党が台湾に避難させた文化財を展示する台北・故宮博物院展が日本で開かれている。しかし、仏露独英軍が故宮の門警備を担任していたら、大英博物館展など、それぞれ母国の博物館名を冠にした展覧会になっていたやもしれぬ。実際、欧露の博物館には、アジアなどで掠奪したおびただしい数の文化財が並ぶ。ベルリンの博物館も、北清事変でドイツ兵が天文台より奪取した有名な地球儀を展示し、物議を醸している。
ところで、中国の団体が今月、1908年に日本軍が奪った?文化財返還を要求してきた。真っ先に返還要求するべき欧露各博物館の膨大な収蔵目録を、中国に送り付けたくなる。(政治部専門委員 野口裕之)