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【プラザ合意30年】「円高」苦慮の日本 協調脅かす人民元 為替環境激変

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【プラザ合意30年】「円高」苦慮の日本 協調脅かす人民元 為替環境激変

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 2011年3月、東日本大震災が発生すると無秩序な動きが広がった。直後に開催された先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁による緊急の電話会議は、約10年半ぶりの協調介入を決めた。しかし、円安は一時的にとどまり、円相場は同じ年の10月に1ドル=75円台の戦後最高値を更新した。

 翌年、第2次安倍晋三政権が誕生し、日銀は13年4月に「大規模金融緩和」を導入した。国債を大量に買って市場にお金を流せば、企業はお金を借りやすくなって投資し、企業業績が改善すれば賃金や消費も上向く-というのが主眼だが、円の流通量を増やして円の価値を下げ、円安を誘導する思惑も見え隠れする。

 アベノミクスは円安・株高を招くなど「一定の成果をもたらした」(証券系アナリスト)。ただ、既に多くの企業は海外に生産移転していたため、輸出は伸び悩んだままだ。

 河野氏は「日本は高度経済成長が終わった1970年代以降、輸出依存型の社会から脱し、サービス産業などを強化して内需を増やすべきだった。『円高アレルギー』はもうやめよう」と唱える。

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