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イタリアですら「若者のクルマ離れ」加速 IT化で変わる価値観

ニュースカテゴリ:政策・市況の海外情勢

イタリアですら「若者のクルマ離れ」加速 IT化で変わる価値観

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【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 ぼくが学生の頃、「クルマなんてダサい」という日が来るとは思っていなかった。が、世の中は必ず変化する。

 「大学生になった娘がクルマの免許をとったんだけど、クルマは要らないって言うんだ。必要な時はカーシェアリングを使えばいいってね。クルマは環境や社会にとって重すぎるって。ぼくたちにとってクルマはステータスだったんだけどね。iPodで音楽を聴きながら友人とエコについて語りあったり、そういうのがいいって娘は言うんだな」とイタリア人の友人が話す。

 4-5年前、日本で若い人がクルマに関心を失いつつあると彼に説明したら、「イタリアではまだそこまでクルマにネガティブじゃないよね」とのコメントがあった。某欧州クルマメーカーのマーケティング担当も「北米など先進国の一部でそういうデータが出始めている」と指摘するにとどまっていた現象が、イタリアにも急速な勢いで到達しはじめたようだ。

 以前よりクルマが情報通信の要になるだろうと予測されていたが、実際その時代に突入しつつある。カーナビは単なる道案内ではない。さまざまな情報の受発信の拠点になってきている。まさしく若い人たちが馴染むはずのネット空間だ。それなのにクルマIT化の本番を迎えた現在、クルマそのものに関心が失われつつある。

 若い女の子もガンガンとマニュアルギアを使いこなすイタリアにおいてさえ、である。

 20年以上前にイタリアの生活を始めた当初、ぼくはトリノに住んでいた。すぐ知り合ったイタリア人の友人たちにワインの里、アスティの丘の農家で行われるパーティに招待された。

 フィアットのパンダのエンジンをブルンブルン回しながらワイディングロードを走り抜け、窓を開けたままナポリ民謡『オーソレミオ』を大きな声で歌う友人たちの姿に圧倒されまくった。運転する女の子はヒール・アンド・トゥを多用しながらカーブを次々とこなしていく。彼女に聞けば、ラリーの趣味があるわけではない。

 ぼくの知る限り、日本ではよほど運転に強い関心ある人でないと、男性でさえギアとエンジン回転数をスムーズに合わせるヒール・アンド・トゥを使うことはなかった。イタリアではマニュアル車への拘りが強い理由も、ここで垣間見られた気がした。ドライブはイタリア人の血が騒ぐのだ。

 かつては信号が青に変わる瞬間はレースのスタート風景さながらだった。オートマのクルマを見かけるのは稀もいいとこ。

 この数年、ミラノではあらゆるところに監視カメラが設置され、信号無視などの違反は徹底して摘発されるようになった。シートベルトの未装着にも警察の目は厳しい。それでも日本と比べればまだまだ荒っぽい。ケータイを耳にあてながら平気で片手運転している。が、飼いならされたオオカミのようにイタリアのクルマの運転も「凶暴さ」がなくなってきた。 

 このような流れとクルマへの興味の低下が直接関係しているのかは分からない。が、安全性や社会的な問題への関心の高まりが、冒頭の若者の感覚にあるように、クルマを重くさせている。他方、こうした動向に敏感なカーメーカーは「社会的贖罪」の意味もこめて、事故発生を回避する先端技術の開発をより促進する。

 さらにネットやスマホの普及で人のコミュニケーションのあり方が変わり、クルマは「どうでもいい」ツールに成り下がり、クルマに費用をかけることをバランス悪く考える人が増えてきた。ITとクルマの関係にすきま風が吹いているのが先進国だ。

 クルマのIT化は、自動車業界にとって社会的存在としてのクルマをアピールする絶好のビジネス機会だ。電気自動車の導入は、その流れを加速するはずである。しかしながら、クルマが愛される対象から離れつつある。冷蔵庫を愛さないのと同じだ。

 カーキチ・イタリア人の辿る道は変化に対して示唆的、と言える。

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