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農業近代化に懸けた37年 黄金崎農場社長・佐々木君夫さん

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農業近代化に懸けた37年 黄金崎農場社長・佐々木君夫さん

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広大な岩木農場を巡回する黄金崎農場の佐々木君夫社長=6月中旬、青森県弘前市 【再挑戦】

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加を見据え、守り一辺倒だった日本の農業を再生させることはできるのか。安倍晋三政権は成長戦略で農業の競争力強化や農家の所得倍増を目標に掲げるものの、農業関係者らの胸には、期待と不安が交錯する。37年前、今回の成長戦略を先取りするかのように、本州北端の地で大規模化による近代農業を目指した若者たちがいた。その中の一人が、日本最大の耕作面積を誇る農業法人「黄金崎(こがねざき)農場」(青森県深浦町)社長の佐々木君夫(63)だ。

 冷害・大雨で大打撃

 6月中旬、「津軽富士」と呼ばれる岩木山(標高1625メートル)の麓の大地に、強い日差しを浴びたジャガイモやダイコン、ニンジンなどの若葉が風に揺られていた。黄金崎農場が岩木と深浦の2地区に持つ2つの農場のうちの一つ、岩木農場。7月20日前後には早くも収穫シーズンを迎えるという。2地区の農場の合計耕作面積は東京ドーム約106個分の500ヘクタールにも上る。

 毎朝4時に起床し、この広大な農場の状態をつぶさに見て回る佐々木は、黄金崎農場の中心的な創業メンバーだが、一度は経営に失敗。挫折を味わった。

 24~26歳だった佐々木ら農家の若者4人が黄金崎農場を旗揚げしたのは1976年。佐々木は「皆、農業が好きだった。天候や相場に左右されない安定的な農業はどうしたら実現できるか、毎日夜遅くまで議論した。米国の大規模農場経営を調べることもなかったし、経営の専門知識もなかったが、熱意はあった」と振り返る。

 たどりついた答えが、農業法人。毎月一定額の給料を受け取れる仕組みを作るとともに、規模拡大や機械化を進めれば、輸入作物にも負けない競争力を確保できると考えた。1人200万円の出資と借り入れを元手に深浦の農地37ヘクタールでスタートしたものの、当初の月給は3万~5万円。無給のこともあったが、食事は農場で用意。冬場には首都圏に出稼ぎに出た。苦しいながらも夢を追う日々が続いた。

 しかし80年の冷害に続く81年の大雨による被害で、農場経営は大打撃を受ける。農協に借りた運転資金の返済見通しが立たなくなり、農場存続の岐路に立たされた。創業時の仲間1人はこのとき辞めていった。

 佐々木らが改めて経営の実態をチェックすると、生産は計画通りなのに農協を通した作物の販売価格が計画通りでなく、これが赤字の原因であることが分かった。そこで、食品メーカーとの間で一定の金額以上で栽培契約を結ぶという独自の販路開拓に乗り出した。

 日本一からの挫折感

 農協は再建計画を説明しても追加融資に応じてくれず、肥料メーカーにツケ払いを頼むという綱渡りが続いたが、ポテトチップスや漬物のメーカーとの間で次々と契約が成立。「1年間やってみると、手元にカネが残った。土地はたくさんある。あとは栽培契約を取りまくれということになった」(佐々木)。3、4年にわたって売り上げは増え続け、3人のそれぞれの年収は1800万円にも達した。

 95年に転機が訪れる。岩木山麓にある広大な土地を東京の老舗レストランチェーンから購入したのだ。レストランチェーンは、その土地で肉牛の畜産を計画していた先代社長が亡くなったため土地を持て余し、黄金崎農場にたびたび購入を打診していた。資金がないと断っていたが、今度は「5億円までの融資制度が利用できる。安くてもいいから買ってくれ」と押してきた。試しに融資を申し込んでみるとすんなり審査にパス。

 金利負担などをてんびんにかけ、ためらいもしたが、大きなチャンスととらえて購入を決断した。「契約栽培主体の経営には限界がある。これに対し、岩木山周辺には70万人という大きな消費市場があり、農場から消費者に作物を直接供給する仕組みを作ることができれば、新たな可能性が広がる」(佐々木)と考えたのだ。320ヘクタールもの岩木農場が加わり、黄金崎農場の耕作面積は日本一になった。

 しかし、この投資は結果的に裏目に出て、経営を圧迫した。2000年、当時農場の主力作物だったダイコンの相場が暴落。低価格の中国産が流入し、漬物メーカーが一斉に中国産に切り替えたためだ。黄金崎農場のダイコンの売り上げは前年の2億円から3000万円に激減した。

 これを機に農場の経営は一気に悪化。5億円余りを借り入れていた農林漁業金融公庫からの返済圧力も強まった。佐々木らは「清算しかない」と覚悟を決めた。しかし、公庫は意外にも5年をかけて再建計画をまとめるよう求めてきた。

 夢は地産地消ネット TPPにひるまず

 「日本最大の土地利用型(ビニールハウスなどを使わない露地栽培)農業をつぶすわけにはいかない」というのが、その理由。5年間は、返済額を年間1万円にとどめる異例の対応が取られた。佐々木は、黄金崎農場の経営破綻が全国の農家に与える心理的影響を政府が懸念したためではないかとみている。

 佐々木は全国の顔見知りの農業法人経営者に出資と経営陣入りを柱とする支援を要請。2005年、黄金崎農場は株式会社に改組し、19年間で債務を返済する再建計画をスタートさせた。

 これに合わせ、佐々木ら創業以来のメンバー3人は農場の役員を解任される。それだけではない。出資者としての権利も奪われたのだ。佐々木にはこのときの悔しさが忘れられない。「いろんなことをやり、いろんな失敗をし、カネにも苦労し、最後に社長をクビになった」

 とはいえ、黄金崎農場を切り盛りできるのは佐々木をおいて他にはいない。再び経営の現場を託された。農場はここ数年、着実に利益を生み、再建も軌道に乗ってきた。安倍政権が農業の成長戦略を掲げる中、外部から黄金崎農場への出資や提携の提案が相次ぎ、新たな飛躍の可能性も広がっている。

 どうしたら安定的な農業を実現できるかを追求する佐々木は今、新たな可能性に挑んでいる。かつて農場を危機から救った栽培契約だが、一気に減少すれば経営の安定は保てない。では、最終的に最も安定した販売先はどこか。

 佐々木が行き着いた答えは、地元の消費者。例えばコンビニエンスストアと手を組み、店舗の一角を借りて農家が作物を置くという形で、地域ごとの地産地消のネットワークを作る構想を温めている。「生産者から消費者に直接作物を届ける流通革命を起こせばコストを大幅削減できる」というわけだ。

 生産者と消費者を直接つなぐという夢をかなえるため、佐々木は農場の近くに私費を投じ「森の中の果樹園」(青森県弘前市)を作った。佐々木の家族が運営する同園(35ヘクタール)には果樹約20種類、約1万本が植えられ、1人1000円で果物が食べ放題。あえて宣伝をしないという方針の下でも、付近の住民らを中心に年間約2万人が訪れる。

 農業近代化への取り組みを通しさまざまな辛酸をなめた佐々木。目の前に押し寄せる荒波にもひるむ様子はない。

 「仮に日本がTPPに加盟し、安い輸入作物が入ってきても、日本という巨大市場の真ん中にいるわれわれが負けるわけがない。問題は消費者に価格や味など、どんなサービスを提供するかの仕組み作り。うまくいかないというのなら、それはやり方が悪いんだ」=敬称略(佐藤健二)

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