それでも「知性はオープン志向であるのが良い」という議論するまでもないような強力な表現を味方につけながら、扉の閉め具合(あるいは開け具合)には常に監視の目が強い。
だからこそ、冒頭のように「閉めるべき扉」「開けるべき扉」の判断が大切になる。
一方、「保存」について言及するならば、確かに文化遺産のような時を経て再生が困難なものに対して、保存の正当性は主張しやすい。しかし「伝統維持の保存」というと一筋縄ではいかない。コミュニティーの政治的意図が見え隠れしたりするからだ。
「何かを守る」「維持する」ことについて、「当然そうであるべき」だと申し伝えのようにバトンを受けたとき、どの程度の疑問を呈するか。あるいは疑問を呈して良いのか。これらが社会のなかで生きていくにあたり、おどおどしたり傲慢になったりするところだ。
そして、米国人アーティストが注目する「プリザーブ」に接した翌日、ミラノ市内で開催されたあるワークショップの成果発表を見学した。
ワークショップは、移民の社会統合のための支援活動を主宰するボランティアによる学校とミラノ工科大学デザイン学部のグループが共同で実施した。
12カ国の36人が、自分の記憶にある子どもの頃にある家や旅の様子などを模型やスケッチで表現し、脇には自らのイタリア語で説明が記載されてある。
ある人は黒い紙に2人の人間を描いている。1人が歩き、後ろからもう1人が懐中電灯をもって歩く。エチオピアからスーダンに脱出しようとしている。