実際、何人かの知人や友人が、子どもが無職になってオロオロしているのを見る。子どもが再び無職になることを想定しないで生活を設計してきたから、オロオロするだけではない。
子どもが何に不満で大企業を辞めたのかは、それこそ自分自身や同僚・若いスタッフたちの気持ちを思い起こせば、理解できないことではない。「自分だって、境遇さえ許せば、若い時に辞めたかった」とも思うだろう。
オロオロするのは、これからの子どもの人生にどういう選択肢があるのか、まったく勘が働かないからである。何かの道を示すことが親としてできない。まず、その自分に愕然とするのだ。
ある年齢になってからの子どもの「心変わり」に、何から何まで面倒をみることはないが、陰になりながら子どもと一緒に走ることが想像できない。
なにせ、自分の周囲も大企業の人間が多いので、それ以外の職場や職業のモデルがあまりに乏しい。下請け業者の先の位置にあるくらいの人が、どんな想いで人生を送っているのか実感が湧かない。
その現実を自ら見つめるのが定年で退職した後のことであるが、現役時代においては全く別世界である。
つまりは経済的なサバイバルの方法から、世界の多角的な見方に至るまで、親は適切なアドバイスができない。
無職になった子どもがスタートアップを目指し、どこかの経営者の言葉に酔心しているのなら話は別だが、「大企業をやめたけど、これから何をすれば分からない」という子どもに、親がなかなか寄り添えない。