要は、(あくまでもぼくの場合だが)勉強も文章を書くのも、当事者としての自分をどこまで自覚するか次第ではないかと考えている。逆に言うと、他人の文章についても「当事者観」とでもいうべき姿がみえないと、あまり読む気になれない。
仮に語る対象のサイズの大きな話を分析的に論じていても面白いとすれば、その筆者が自らの当事者観を上手く入れ込み、かつ読者にも当事者観を忍ばせるのに秀逸なのだ。
人には2つのタイプがあるのだろう。
一方は当事者としての意識をもてないと勉強ができず文章を書けない。他方は当事者意識とはまったく関係なく、勉強ができ文章を書ける。言うまでもないが、学校の成績が良い人は後者である。そして、その人が当事者意識をフル回転させると、ものすごい成果を出したりする。
でも成績の良い人は少数派だ。多くは前者である。とするならば、多くの人にとっては当事者意識の持ち方こそが勝負どころというわけだ。
ゆめゆめ、前者に属する人は後者のタイプに憧れをいだき、大きなサイズを対象に主語のはっきりしない分析的な語り口を真似してはいけない。(今回も)自戒をこめたコラムである。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。