もちろん、人によって経験する種類や範囲は違う。子育てをしなければ学校事情は守備範囲に入らない。ぼくの場合、イタリア人と結婚したわけではないので、イタリアの親族間にあるトラブルの特徴はよく知らない。
前述のボスには、「イタリア語をどれだけ分かるかは、どれだけ広範囲のことを実際に経験するか次第だ」と言われた。
クルマの仕事をして車の部品の言葉を覚えた。奥さんが妊娠して産婦人科系の言葉を知った。赤ん坊の行為を表現する言葉は実際に赤ん坊が誕生してから耳に馴染んだ。
そして子どもが大きくなると、赤ん坊をあやす言葉も忘れていく。既に産婦人科系の語彙はぼくの頭の中に乏しい。そのかわり、ぼくが最近かかった病気の言葉が頭のなかに残っている。
経験の総量に見合う言葉の数々を獲得して維持するのは、少なくてもぼくのキャパを超えたことだった。経験の絶対的な量は増えるが、使わない言葉は記憶から消去されていく。
こうなると、「滞在年数が多ければイタリアが分かる」なんていうのは、ますます空言のように思える。だから30年後に分かるとすれば、世代交代によって生じることではないかとずっと思い、そのうちに30年を指標とすること自体を忘れていた。
昨年、イタリアに来て30年目だった。「ああ、30年が経たなあ」と感慨深く思うこともあまりなく、それよりも「あれ、なんか今までと違った次元でイタリアのことが見えてきたのでは?」と自問することが増えて驚いた。