パンデミックに突入してのこの1年半、マスメディアやソーシャルメディアでさまざまな意見をみていて少し変わりつつあると思うことがある。
企業論理の優先的扱い、もっといえば一本調子の経済合理性にちょっとばかりの綻びをみつける人が増えてきている。必ずしも、経済合理性に真向から論争を挑もうというのでもない。
性別の問題、女性の働く環境、子どもの学習の仕方、食生活のレベル…議論すべき項目の数は膨大にあり、それらはあまりに広範囲で一見、これらがお互いに関係するかどうかはわからない。
しかしながら、「あれっ、これは企業優先の論理で私個人の生活の論理にのっていない!」とふと気がつくシーンが増えているようだ。それで相変わらず「ビジネスこそが社会問題を解決する」と信じて疑わない顔をしている人の姿がだんだんとぼやけてみえてくる(いってみれば、過去の人として古臭くみえる)。
もちろんビジネスが多くの社会問題を解決する可能性は高い。だが、それを強調しがたいために、それしか道がないと宣伝しまくるのがいただけないのだ。
常に「それ以外の道」が存在してはずだと熟考する姿勢が欲しい。学びへの意欲があり、謙虚さを示すことだ。それでないと傲慢になる。
実は、その文脈で考えると、今、時代への感性が研ぎ澄まされているのは農村に住む人ではないだろうか。とっくの昔から経済合理性やビジネスだけで社会が動いているわけでないことを肌身で知っている人たちだ。
このような人たちこそ頼もしい。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。