ミラノの葬式風景について書いてきた。
誰もが泣き崩れておかしくない葬式という非日常世界に厳格なしきたりを適用しなくなった。その変化の意味をぼくは考えたいのかもしれない。しかし、人に聞きまわって背景を調べたいというという気にもならない。
教会で葬式に参列するたびに「これでいい」と思うだけだ。
ある人の死に想いを馳せる場において、ただただじっとそこに佇んでいる以上の何かができるわけでもない。赤ん坊がいれば、その泣き声が世代交代を暗示させることもあり、特に親が赤ん坊を連れてミサの席を外すこともない(とは言うものの、我が家の息子がまだ1歳半のとき、いったん教会の外に出ざるをえないこともあったが・・・)。
ある意味、葬式のミニマリズムと称しても良いのではないか。家族葬がミニマリズムの一つと考えられるが、公に事前に告知した葬式のオープンなあり方として、ミラノで経験する葬式に「これでいい」と思うのである。
ぼくは欧州の他の国で葬式に参列したことがないので、他と比較することはできない。日本しかない。だが、そんなに比較する必要もないだろう。
それにしても教会の中の広い空間もムッとするほどの日だった。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。