これらの苛立ちを攻撃的な口調で発している(というか、この部分だけをマスメディアが切り取って報道している可能性も高い)のがスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんだ。彼女も前述の会議と街頭デモに参加した。
彼ら・彼女たちは自分たちの次の世代はないかもしれない。そういう焦りを抱いている。本当に次の世代があるのかないのか。誰も分からない。
ただ、そのような気持ちがあるのは確かだ。もちろん、すべての若者とは言わない。しかし、「一部の子たちでしょう?」と思う以上の数の子たちがデモには参加している。
当然、デモに参加していなくても、「ほんとう、どこまで地球はもつのだろう?」と一抹の不安を抱えている。上の世代は行動に基づき、それらの苛立ちに相対する相応の言葉を発しているのか? と問われている。
「まだ物事がよく分かっていない、あの若い子の言うことに世界中が左右されているようで、おかしい」との批判も強い。「世代間の意見の食い違いは歴史上、常にあることだから気にする必要はない」という傍観者もいる。
しかし、そういうセリフを吐く口で「デジタルネイティブの若い人たちは、これまでとはまるっきり違う感覚だから、期待しよう」と話すのだ。まるで若い世代を2つの機能があるロボットのように見ている。
環境問題と若い世代の意識の関係には注意して耳を傾けないといけない。