「夢」を書き出すことから始まった
-起業のきっかけを教えてください
若い頃は、何もなかった。
高校を中退し、20才で結婚、21才で子宝に恵まれ、父親の会社で働きながら、放送大学を聴講し、夫、父親、会社員、学生の4役をこなしていました。
「二世後継者」といえば、楽なイメージもあると思いますが、父は「一番給与は安く、一番たくさん働いて、他の社員の皆さんの手本なれ」と厳しい方針でした。
周囲の友人が大学生活を謳歌するなか、自分には何もない「金ナイ」「時間ナイ」「夢も希望もナイ」「縁もナイ」、4ナイだった。まさに「出口のないトンネルの中」にいるような気持ちでした。
そんなあるとき、ふと、常に手元にあった手帳に自分の夢を書いてみたんです。すると、何故だか胸がすーっとして楽になり、真っ暗闇のトンネルの中に一筋の光が見えたような感覚を覚えたんです。
「今は苦しいが、これをやってやろう」生涯にやりたいこと、「夢」を書き出して、明文化することで、俄然やる気が出てきたんです。
次は、このたくさんの「夢」を整理しました。「夢」を分類して、優先順位をつけてピラミッド型に落としこんでいきました。
基礎レベルに「健康」「心」「教養」の一生の夢を、その上に、実現レベルの「社会生活」と「家庭生活」の夢を落とし込みました。この5つの分野にバランスよく夢を持ち、達成していけば、結果として「経済面」の成功もついてくると考えました。
この夢を整理した「人生ピラミッド」を時系列に置き換え、その夢に具体的な期限を設定し、「未来年表」を作りました。
その中の社会生活の夢は「No.1の青年実業家になりたい」「35才で会社を上場させる」でした。
それから、私は「未来年表」を実現するために、勉強し、本を読み、身を粉にして働き、1991年GMOインターネットの前進となるボイスメディアを創業しました。
生涯を賭けられるビジネスを探して
-1999年、当時36才、「未来年表」の記載とわずか1カ月の差で、インターネット事業での上場を実現しましたね。 何故? インターネット事業だったのでしょうか?
ずっと「どの分野でならNo.1になれるか?」を考え研究していました。日本の名立たる企業、長く続いている企業を調べてみると、インフラを中心とした産業に行き着きました。
だた、自分の周りには、ニッチな分野でのビジネスチャンスはありましたが、インフラのようなメインストリームになる事業への参入は難しく、自分の生涯を賭けるビジネスを探していました。
そんな中、新聞記事で「インターネット」という仕組みがあることを知りました。自分には、インターネット産業が、鉄道産業のように見えました。インフラとして線路があり、路線周辺に、住宅地や商業施設や遊園地を開発していき、人々がそれを利用する。
まず手がけたことは、人口を増やすこと。当時のインターネットは、クレジットカードを用いたプロバイダー契約が中心で、申し込んでから開設までに時間がかかり、手軽に使うことができませんでした。
私はNTTと交渉し、契約をしなくても誰でもできる。世界初のインスタントプロバイダーをはじめました。これが多くのお客様の支持を受け、独立系で国内最大のプロバイダーへと成長しました。
その一方で、プロバイダー事業は、人数×単価の商売で、いずれ刈り尽くして限界がくると予想し、次のビジネスを模索していました。
当時パートナーだったエンジニアは米軍の退役情報将校で、彼とナパバレーにワインを飲みに行った帰りに、彼に導かれてシリコンバレーの原始的なデータセンターを見学し、次の事業のヒントをつかみました。
「このインフラを利用して誰もが簡易にホームページを持てるようになったらば、コンテンツが増え、さらにインターネットが面白くなる」と
その頃、既に同様のサービスを提供している会社はありましたが、独自ドメインのホームページを作るには、それなりの金額を払ってドメインを取得し、サーバーを用意する必要がある上、申し込みはすべて英語という簡単にはできない大仕事でした。
我々は、低料金で日本語で簡単に申し込みができるドメイン取得サービスとレンタルサーバー事業を始めました。これも、多くのお客様に使っていただく大ヒットサービスになりました。
今では、累積登録ドメイン件数が500万件を突破し、国内の多くのWEBサイトが我々グループのサービスをご利用くださっています。
(産経デジタル 取材 文/舟木純 撮影/木山久男)
(後編に続く)
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