ローカリゼーションマップ

「締めるべき扉」と「プリザーブ」の関係 文化は個人の意思で作られる

安西洋之
安西洋之

 スウェーデン人がホストのポッドキャストを聴いていると、対談相手のこんなフレーズがあった。

ワークショップの作品より
ワークショップの作品より
ワークショップの作品より
ミラノ工科大学デザイン学部などが開いたワークショップ

 「これまで、扉という扉をどこも開けすぎた。すべて開放すればいいというものではない。閉めるべき扉は閉めておいて、開けるべき扉を開ける。こういう判断が必要だ」

 日を経ても、これが耳からなかなか離れない。何度も、この言葉がよみがえってくる。そういう時に、別の場所で米国人のアーティストが拘る単語として「Preserve」を挙げていることをたまたま知った。

 辞書をひくと名詞で「領分」や「分野」、あるいは「禁猟区域」という意味が出てくる。動詞だと「保存する」「(記憶を)留める」「(食べ物を)漬ける」といった日本語訳がある。

 「扉の開閉」のフレーズが頭のなかで揺れているところに「プリザーブ」という単語が水面にポトンと落ちるかのように、頭のなかに入ってきた時、ぼくの視界は一気に広がったような気がした。

 「閉める」「保存」という言葉は、往々にしてネガティブなイメージをもつことがある。インターネットによってすべてに境がなくなったような感覚をもった後、国境や古いコミュニティーのことを語るのは、閉じた印象が一時期あった。

 しかしながら、この数年、一方的に「開けっ放し」にすれば良いわけではないことに、一部の人は十分に気がつきはじめた。それを後押しする一例が、欧州連合のGDPR(EUデータ一般保護規則)だろう。

 またオープンイノベーションが効果を発揮するところと、まったく逆のアプローチをとった方がよいところがあることも認識されてきた。

 それでも「知性はオープン志向であるのが良い」という議論するまでもないような強力な表現を味方につけながら、扉の閉め具合(あるいは開け具合)には常に監視の目が強い。

 だからこそ、冒頭のように「閉めるべき扉」「開けるべき扉」の判断が大切になる。

 一方、「保存」について言及するならば、確かに文化遺産のような時を経て再生が困難なものに対して、保存の正当性は主張しやすい。しかし「伝統維持の保存」というと一筋縄ではいかない。コミュニティーの政治的意図が見え隠れしたりするからだ。

 「何かを守る」「維持する」ことについて、「当然そうであるべき」だと申し伝えのようにバトンを受けたとき、どの程度の疑問を呈するか。あるいは疑問を呈して良いのか。これらが社会のなかで生きていくにあたり、おどおどしたり傲慢になったりするところだ。

 そして、米国人アーティストが注目する「プリザーブ」に接した翌日、ミラノ市内で開催されたあるワークショップの成果発表を見学した。

 ワークショップは、移民の社会統合のための支援活動を主宰するボランティアによる学校とミラノ工科大学デザイン学部のグループが共同で実施した。

 12カ国の36人が、自分の記憶にある子どもの頃にある家や旅の様子などを模型やスケッチで表現し、脇には自らのイタリア語で説明が記載されてある。

 ある人は黒い紙に2人の人間を描いている。1人が歩き、後ろからもう1人が懐中電灯をもって歩く。エチオピアからスーダンに脱出しようとしている。

 説明には以下が記載されている。

 「夜中に歩く。警官に見つかったらエチオピアの監獄に収容されてしまう。(私が)お金を払った案内する人がいた。昼間は木陰で寝て、夜歩く。4晩連続だ。各自、ビスコッティとボトルの水だけ。スーダンに着いたら家政婦として3年、リビアで2年。その間、シャワーもベッドもなく、床に多数の男女と寝て、臭かった」

 こうした年月を経てイタリアに到達した。「今は、いい。とってもいい」との言葉で説明が終わっている。接続詞がない文章が、情景を前面に押し出す。

 ぼくはこの絵と説明を前にしたとき、エチオピア人はアフリカでの辛い経験を記憶から排除できないのか(もちろん不可能だろう)、自分のアイデンティティーとして選んで記憶に残しているのか、と一瞬考えた。

 これが「プリザーブ」なんだ。閉めるべき扉の存在だけを示したかったのかもしれない。後になって記憶が改変されないように。

 文化は個人の意思で作られていく。合意によるものではない。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
Twitter:@anzaih
note:https://note.mu/anzaih
Instagram:@anzaih
ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。