社長を目指す方程式

部下や顧客の行動を“誘導” 業績を上げるのは「ナッジ」を使いこなす上司

井上和幸

 こんにちは、経営者JPの井上です。最近ちらほらと耳にする「ナッジ」をご存知でしょうか? ナッジとは行動経済学的知見を使い、人々の行動をよりよい方向へと誘導するものです。ナッジのコンセプトは2008年にシカゴ大学のリチャード・セイラー教授とハーバード大学のキャス・サンスティーン教授により発表されました。

 前々回(2019/9/16「逆説的に部下をやる気にさせてしまう“ヤバい”行動経済学」)、行動経済学での幾つかの理論活用をご紹介しましたが、今回は行動経済学が明らかにしている私たちの意思決定の様々なバイアスを行動経済学的特性で望ましい方向に向けるナッジの活用をご紹介しましょう。

 ナッジとは何か?

 ナッジで恐らく最も有名な事例は、アムステルダムのスキポール空港の男子トイレで小便器に描かれたハエの絵でしょう。それまで小便器の周辺に撒き散らされた利用者の小便の汚れで床の清掃費が高くついていたことに業を煮やしていた職員が、ふと思いつき小便器にハエの絵を描いたところ、なんと清掃費は8割も減少したそうです。そう、利用者がこの小便器のハエの絵をめがけて小便をするようになったことで、便器の外に小便が撒き散らされることが激減したのです。1999年のことだそうです。その後、この小便器のハエは世界各国に波及しています。読者の皆さんも見たこと(目がけて小をしたこと!)があるかもしれません。

 「ナッジ」とは「軽く肘でつつく」という意味の英語です。セイラー教授はナッジについて「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素を意味する」と定義しています。要は、力ずくではなく、そっと優しく、それとなく良い方向へ行動を促す策を指していると、私なりには理解しています。

 さてでは、そのようなナッジを私たちはどのようにすれば導入することができるのか。ナッジの設計方法としては「BASIC」(Behavior 人々の行動をみる→Analysis 行動経済学的に分析する→Strategy ナッジの戦略を考える→Intervention ナッジによる介入をする→Change 変化を計測する)、実際に選択したナッジが適切なものかどうかをチェックするためのチェックリストとして「EAST」(Easy 簡単か、Attractive 魅力的なものになっているか、Social 社会規範を利用しているか、Timely 意思決定をするベストタイミングか/フィードバックは早いか)などが理論として提唱されていますが、ご興味あり詳しくお知りになりたい方は行動経済学タイトルのビジネス書などを当たってみて頂ければと思います。

 ナッジに使える私たちの意思決定のクセ

 行動経済学が明らかにした、私たちの意思決定のクセには大別すると4つあると言われています。

  •  確実性と損失回避を求める「プロスペクト理論」
  •  先延ばし行動など時間割引率の特性である「現在バイアス」
  •  他人の効用や行動に影響を受ける「社会的選好」
  •  合理的推論とは異なる直感的意思決定である「ヒューリスティックス」

 そもそも私たちの日常は、ナッジで溢れています。私たちは毎日、なにがしかのナッジに行動を促されていると言っても間違いないでしょう。

今回の社長を目指す法則・方程式:

「ナッジ理論」

 例えば、私たちはコンビニやスーパーの棚や冷蔵庫で、どこを最もよく見ていて商品を手にする確率が高いかということは心理学的、行動学的に明らかになっています。立っていて目の高さにあるもの、また同じ高さであれば左から右に視線を移しますので、その順番に商品が目に飛び込んできて購買をくすぐられます。

 ここで健康志向のお店が、お客さまの健康を考え、目の高さに健康志向の商品や生鮮食品を置くような行為がナッジに当たります。

 一方で、お店が自分の私利私欲のために行動経済学的知見で行動を促すことは「スラッジ」(ヘドロや汚物を意味する英語)と呼ばれます。同じお店がお客さまの常習性を狙って劇薬的習慣性の強い化学調味料を多用した商品を同じ場所に展開し購買促進するとすれば、それはスラッジでしょう。ネット販売などで購入時にデフォルトで継続購入フラグが立っていてオプトアウト(本人からの申し出やアクションがあって初めて解除される形式)がしにくくなっているなどもスラッジですね。

 そう理解した上では、これは果たしてナッジなのかスラッジなのか、なかなか難しいマーケティング施策が私たちの生活環境には溢れかえっていることに気づきます。うな重などの定食価格の松竹梅(上1500円と並1000円の2つのメニューのときは多くが並を選択しますが、これに特上2000円が加わった途端、私たちの多くは上を選択します)、購入時に「効果を感じられなければ全額返金保証」のインセンティブ提供、「今月に限り、半額!」などの期間限定アナウンスなどは、私たちに純粋なメリットを得る機会を促してくれているケースももちろん多くあれば、提供者のマーケティングの罠におめおめとやられてしまうケースも少なくないように思います。

 私たちがナッジ/スラッジ、行動経済学を知っておく最大の価値は、こうした私たち自身の意思決定のクセがあるのだということと、その意思決定のクセを狙った情報を見たときに「非合理な意思決定」を回避することにこそあるのです。

 職場で活かすナッジ

 さて、この連載としては、このナッジを、社長を目指す上司の皆さんが、どう職場で使うのかということです。

 まずひとつ、興味深い話として、年功的給与制度は行動経済学的には妥当性があるというお話から。

 私たちは、現在の給与水準を参照点として、それより上がれば「利得」、下がれば「損失」と感じます。ある3年間、あなたの年俸が評価によって700万から800万になり、次年度は業績低迷で600万になったとしましょう。一方、別の3年間、600万から700万、800万へと昇給が続いたとします。絶対的に見れば、この3年間の平均年俸はいずれも700万、総年収は2100万です。収入的には同じなのですが、あなたは、後半の3年間は非常にハッピーな気持ちで過ごしますが、前半のうちの2年目3年目に、評価は致し方ないと理解しながらやるせない気持ちと、大きく減俸されたという印象を持って過ごすことになるでしょう。

 そもそも給与が下方硬直性を持つのはこうしたバイアスから説明できますし、行動経済学的に言えば、給与システムは年功的側面~経年で上がっていく体系を基本として、「頑張って、毎年少しづつ給与が上がっていく」ナッジを使った方が、社員のやる気は下支え継続するのです。

今回の社長を目指す法則・方程式:

「ナッジ理論」

 実際のところ、今どき年功的給与体系が適している企業は極小ですから、理論は分かってもなかなかそれを活かすことは難しいでしょう。成果主義、実力評価は合理的には正しいので、その筋をしっかり通しつつ、社員モチベーション的には、仮に大きく減給せざるを得ないときに、必ず「この次に挽回できるチャンスとその方法、ロジック」をしっかりセットで渡してあげることです。そうすれば、次の半年1年の頑張りを促すことができるでしょう。

 部下に計画を立てさせてもなかなか実行、達成できないことに悩む上司は常に多くいらっしゃいます。これは行動経済学的には、現在バイアスで説明されます。現在バイアスは、将来のことについては我慢強い意思決定ができる(1年後なら100万円、1年と1週間後なら101万円を受け取ることができる、という2択の際は多くが後者を選ぶ)のに、現在のことについては安易な意思決定をしてしまう(1週間後なら100万円、1年後なら101万円を受け取ることができる、という2択の際は多くが前者を選ぶ)、計画はできても(半年後に5キロ痩せる!)、実行段階では現在の楽や楽しみを優先(お菓子やケーキ、ラーメンなどを食べてしまう)し、計画を先延ばししてしまうという特性を現します。

 Q(クォーター)、半期、通期の売上目標を達成するということに対して、達成したくないと思っている社員はいないでしょう。でも、目の前の日々ではそのための十分 な業務活動ができない。気がつけばまた半期末や期末が近づいてきて、少なくない目標残を抱え、残された営業日数での打ち手も尽き、鬱々と期末を迎える日々を過ごす…。

 行動経済学的にもこの回避策は至って王道で、中長期目標を達成するために可能性をたぶんに含む短期目標~毎日の行動計画を決め、この日々の行動計画を習慣ルール化することが結局、最もうまくいくであろう最善策なのです。マネジメントとしては、先々の大きな目標だけをロックインさせていてもダメで、部下たちの毎日の行動をしっかりチェック・管理することが、中長期目標達成に至る道なのです。

 できる部下は、自分でこの毎日の行動計画の策定と実行、習慣化ができます。普通以下の部下については、結局、ある程度以上、行動を具体的に細かく管理できる上司が業績を上げるということが、残念ながら(?苦笑)、行動経済学で実証されてしまっているのです。

 職場で活かすナッジには、他にもピアプレッシャーの活用や、金銭ではなく仕事そのものに意味づけを置くこと、また、返報性の論理を使うなど様々な「手」があります。これらについてはまた、今後の連載でもご紹介してみたいと思います。

 さて、こうしてみてきて、ナッジは危険なマインドコントロールではないかと思う方もいらっしゃるかと思います(実際に、先の通りスラッジも存在しますしね)。行動経済学が提唱するナッジは、あくまでも「良い行動を、当事者に主体的に促すもの」です。ナッジ的思考行動特性を持つ人が、これからのできるリーダー、社長になる人だと私は思います。

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井上和幸(いのうえ・かずゆき) 株式会社経営者JP代表取締役社長・CEO
1966年群馬県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社リクルート入社。人材コンサルティング会社に転職後、株式会社リクルート・エックス(現・リクルートエグゼクティブエージェント)のマネージングディレクターを経て、2010年に株式会社 経営者JPを設立。企業の経営人材採用支援・転職支援、経営組織コンサルティング、経営人材育成プログラムを提供。著書に『ずるいマネジメント 頑張らなくても、すごい成果がついてくる!』(SBクリエイティブ)、『社長になる人の条件』(日本実業出版社)、『ビジネスモデル×仕事術』(共著、日本実業出版社)、『5年後も会社から求められる人、捨てられる人』(遊タイム出版)、『「社長のヘッドハンター」が教える成功法則』(サンマーク出版)など。
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【社長を目指す方程式】は井上和幸さんがトップへとキャリアアップしていくために必要な仕事術を伝授する連載コラムです。更新は原則隔週月曜日。アーカイブはこちら