【ローカリゼーションマップ】輝き失せぬ知的ヒーローの半生記 欧州文化の「全体的」解釈を今読むと…

 
※画像はイメージです(Getty Images)

 年末年始の休暇中、加藤周一『羊の歌』と『続羊の歌』を読んだ。知識人というスタイタスにまだ輝きがあった時代、その象徴的リーダーの1人であった加藤周一自身の半生を描いたものだ。初版が1968年、加藤が49歳のときの作品である。

 ぼくは、この本を高校生として初めて読んだ。その後、数年に一度再読しており、多分、今回で10回目あたりに到達したのではないかと思う。

 加藤は医学部の学生でありながら、文学部の授業にも出席し、特に仏文科の学生たちとの交流が軸になり、その後の文学に関する執筆活動に繋がっていく。但し、血液学の専門家としての仕事を30代まで続け、30歳周辺でパリに留学したのも名目的には血液学の研究である。もちろん、フランスを中心とした欧州の文化を深く知ることが本当の目的だ。

 30代後半、分野を定めない評論家を本業とし、医者は廃業する。仏文学から日本文学に至るまで、あるいは音楽や美術から政治に至るまで、縦横無尽な知的活動に生涯をささげ、2008年89歳でこの世を去った。

 第二次世界大戦時、俯瞰的にみて日本は米国に負けると踏んでいながら、傍観者以上のことができず、友人たちが戦場で命を落としていったことを悔いる。戦後まもなく、米国軍医団と東大医学部の共同で行った「原子爆弾影響合同調査団」の一員として広島に出向いたのも、それが理由である。

 高校生のぼくは、加藤周一の本を好み、大学は仏文学科を選んだ。フランス文学に嵌ったのではなく、文学という枠を越えて文化から政治・社会まで自分のフィールドとできるのは、1970年代後半、つまりはぼくの大学受験当時、仏文科くらいしかなかった。

 加藤の「知的フィールドの広さ」に憧れたのだった(他に、仏文学者の桑原武夫の著作にも同じように心酔した)。

 実は、2008年、ぼくが『ヨーロッパの目 日本の目』という初めての自著を上梓する際、帯の推薦文を書いて欲しい人がいるか、と出版社より問われた。ぼくは、真っ先に「加藤周一さんにお願いできますか?」と打診した。

 ぼくはビジネスパーソンが異なった文化をどう理解すればよいのか、欧州文化を例に本を書いた。各国の事情に詳しい人はそれなりにいるが、欧州全体となると殆どいなかった。かつて欧州を語った人も、もうこの世にいなくなっていたのだ。そういう点からも、加藤周一をおいていないと考えた。彼がダメなら、推薦文は要らない、と。確か2008年8月か9月頃だったろうか。

 結局、帯は推薦文なしで、その年の11月末に本は出版された。そして1週間も経たぬ12月5日に加藤周一は亡くなった。出版社の方が打診してくれたとき、加藤周一の奥さまを通じて「入院中の身で、残念ながら原稿を読めるような状態ではありません」との返事を頂いていたのである。

 それほどに、加藤周一は「ぼくにとって近しい人」だった。大学構内で見かけたことはあるし、知人で彼を知っている人はいたが、直接お話したいとは思わなかった(その頃、ヒーローと話をするのは怖すぎた!)。本から得る語りで十分だ。それでも「ぼくにとって近しい人」だったのである。

 彼の自伝を繰り返し読んできて、ぼくの読み方も変わってきた。高校生の頃は、批判の余地のまったくない憧れの対象としての加藤だった。ぼくが欧州に住み始めたのは、彼がパリに留学したのと同じような年齢であり、彼の欧州文化の「全体的な」解釈にはとても学ぶところが多かった。

 今から10年ほど前に再読したとき、異なった文化を知るには年数が必要だ、という部分に目がいった。今年の冬がいつもの冬よりも寒いのか暖かいのか。2年間の滞在経験で「いつも」とは言えない。

 今年の再読では、ぼくがイタリアに住む前にイタリアを遠ざけていた理由が分かった。前述のように、ぼくがフランス文化に興味を抱いたのは加藤の影響が大きいのだが、(イタリアにある)合理性を超えた感情の存在について加藤はやや否定的な見方をしていると、若い頃のぼくは誤解していたのではないかと思い至った。

 また、執筆当時の彼の年齢を過ぎた今、彼の饒舌な書き方をしている部分がいやに気になる。どうして、ここで饒舌になったのか、そういうことを考えていると1ページを読み進めるのに何分もかかる。

 ぼくが高校生のとき『羊の歌』を読んで感動したのは、いわば「知的背伸び」ではないかと20~30代のころに思わないでもなかったが、そんな「若気の至り」ではなかったと今にして確認できたわけだ。

 回想録と呼ぶか自伝と呼ぶか、それはどちらでも良いが、一人の人間の人生の記憶を繰り返し辿る面白さをしみじみと味わっている。

 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

【プロフィール】安西洋之(あんざい・ひろゆき)

モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター

ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。