今週、ミラノ市内でコミュニケーションをビジネスとする会社において、社長から次のような話を聞いた。
「パンデミックによってリアルなイベントができなくなった。それらがオンラインに移行している。それでオンラインのセミナーなどを実施しているが、驚くほどライブ視聴者が少ない」
パンデミックで封鎖生活を余儀なくされた当初(ミラノでは3月中旬にあたる)、その時は自宅にいる人の時間の使い方がまだ定まっていなかったからか、オンラインイベントにそれなりに飛びついた。
しかし、それから3カ月を経て多くのオンラインイベントが溢れるようになった今、スタート時刻が定まったイベントに「自分の都合を合わせる」のは億劫と感じる人が増えた、というのが冒頭のセリフから裏付けられる。そして、次のような言葉が続く。
「録画の視聴は順調に伸びていく兆候があるので、コンテンツの質が悪いということではないと確信している」
言ってみれば、テレビ番組の視聴パターンと近くなってきたのだ。「テレビの番組時刻に合わせて生活なんかできない!ネットの世界は自由だ!」と散々声をあげてきた人たちが、テレビとまったく同じ思考の罠に嵌っていたことにぼくは興味をもった。
なぜ、自分たちが行うイベントはライブに意味があると思ったのか?オンラインイベントを見ながらチャット参加が可能なケースも多い。それに対して画面の向こう側からフィードバックがくるのは確かに楽しい。
だが視聴者のコミュニティが見えない場合、チャット参加をしても、イマイチ盛り上がらない。だいたい参加者が一定数を超えれば、ウェビナー(ウェブセミナー)の講師に質問をしてもなかなか回答が戻ってこない。
ライブの良さが活かされることは少なく、かつ、多くは後になって録画が見られる。ライブが無料で録画が有料という仕掛けがある場合もあるが、時間的制約を超えてライブで見たいと思うプログラムも限られている。
こういうことをネットのコミュニケーションの専門家たちも熟知していたはずなのだが、自ら手掛けないと実感できないことは多々ある、ということだ。
また、ぼくが話した相手は、次のようなことにも気づいたらしい。
「多くの人や企業は、実は動画コンテンツをパンデミック以前から持っていた。しかし、人々に十分に伝える術をもっていなかった。それをぼくたちがやればいいと分かったのだ」
だから特に新しい動画を作らなくても、コンテンツのプログラム構成力で彼らの「チャンネル」を埋めることができる。
そもそも何度も見たい前々からある質の高いコンテンツがあり、そのうえにたまたまアクセスが悪く知らなかった興味あるコンテンツがある。即ち、必要なのはアクセスの仕方を改善させることだったのである。
ぼくも、この3カ月間、オンラインのイベントを沢山見たし、自身が登壇して話すこともあった。そこで双方向コミュニケーションの可能性を否定するつもりはまったくない。だが時間の自由をより優先したい、という気持ちがある。
だからといって、リアルに人と時間を決めて会うのが嫌だと言っているのではない。逆だ。ロックダウンが解除されてから、できるだけリアルに人に会うようにしている。事務的な内容の打合せをするためではなく、色々なアングルからインタビューするためである。
オンラインのインタビューでは話題が広がらないことは十分に承知しているので(メールによるインタビューは事実確認にしかならない)、規制解除のタイミングをひたすら待っていたのだ。
率直な感想を書いておく。ウェビナーの内容とリアルなインタビューを比較するのは無理があるのは百も承知のうえで極端に(比喩的に)言えば、有名な人の話をウェビナーで聴くよりも、無名の人にリアルに会って聴く話の方が、その後にぼく自身が相手の言葉を反芻して色々と思いを巡らせることが多い。
以上の個人的感想を基にするならば、オンラインイベントの企画に求められるのは、イベントの後に余韻が残る設計ではないかという気がする。実用書よりも文芸書のコンテンツがさまざまに(誤読も含めた)「解釈」が生まれるように、そうした「その後」を導くような工夫が人を引き寄せる決め手の1つかもしれない。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。