この1月、別連載「ミラノの創作系男子たち」に「『生活とは何かを考えさせる国』選んだ日本人の遍歴 独自の想念が作品生む」と題するコラムを書いた。ミラノに住むアーティスト、廣瀬智史さんのアートへの考え方を紹介した。下記は、アートにとって大切なものは? との質問に対する言葉だ。
「オリジナリティに尽きます。それも目に見えるカタチではなく、作品を生み出す想念自体にオリジナリティがあることが大事です」
彼へのインタビューは4月10日から前橋市立美術館「アーツ前橋」で開催される彼の個展への想いを、ぼく自身が確認する作業でもあった。
ややこしいウイルスの活動がやけに盛んになり、展覧会の予定通りの開催が不可能になっただけでなく、一般公開の実施さえも一時は危ぶまれた。だが、幸いにも6月のはじめから展覧会はスタートすることができた。
予定通りであれば、ぼく自身も日本滞在に合わせ、美術館を訪れるつもりだった。しかし衛生緊急事態がそれを容易に許さない。だから現在ぼくが分かるのは、マスメディアでの批評(この1カ月をみると、全国主要紙がどれも好意的に取り上げている)やソーシャルメディア上にある感想、それに廣瀬さん本人との直接のコミュニケーションなどから知る反応である。
そのようななかで「なるほど!」とぼくが膝を打った、アートに関心の高い友人から聞いたエピソードがある。
若手のアーティストたちの間で、廣瀬さんの展覧会の評判が良いと言うのだ。通常、若手は自分たちの感覚への自信と我の強さから、廣瀬さんのようなベテランの域に達したアーティストの作品には辛い点をつけがちだ。それなのに彼らが「廣瀬さんの個展はいいと仲間たちが言っている」という。
一方、廣瀬さんからは「インスタ映えもするレモンの展示に惹かれてきた一般の人たちが、他の作品群をみて、そちらも気に入ってくれる」と聞いていた。
ぼくは、これらのエピソードが意味するのは何なのか? を考え始めた。
レモンの展示は床におよそ3万3000個の本物のレモンを並べ、その上を歩けるガラスの「ステップ」がある。この会場に足を踏み入れると爽やかなレモンの香りが包み込む。しかし、会場には人工的に抽出されたレモン精油も散布されており、嗅覚がより刺激されるような仕組みになっている。一方、レモンにも延命するための防腐剤が使用されているのだ。美しさの裏に自然のものと人工的なものが入り組んでおり、世界の「複雑さ」や「不確かさ」について暗に言及している。
1997年、資生堂のザ・ギンザ・アートスペースで最初に展示され、その後、世界各地でも巡回した。当時、ぼくも見たことがある。今回の展覧会名「地球はレモンのように青い」とのハッシュタグでインスタグラムを検索すると、6月30日現在、250以上の投稿があり、それらの7~8割はレモンに集中しているように見える。
だから人々がレモンの展示に圧倒されているのは確実と想像できる。そして、廣瀬さんのおよそ30年間の思考の軌跡を追って全体像が見えてくると、レモンの展示が何を象徴しているのかがよりはっきりと認識できたに違いない。「レモンもいいけど、そのほかも面白い」という表現は、パーツではなく「考えの総体」に興味をもった証拠だ。
実をいえば、これまで長い間、廣瀬さんの抽象性の高い一部の作品はマニアに受けるが、そうではない人たちは感想を表現する言葉を見つけるのに苦労するのではないか、とぼくは思っていた。
それらの作品は記憶には残るが、決して尖っていない。見る人を不快にさせることはない。だが、それゆえに主張が弱いのではないか、と自分の思考力よりも作家の表現力に責任転嫁しやすいかもしれない、とも想像していた。
だが今回、鑑賞者のそうした迷いを、見事に振り切ったのではないか。
作家が力尽くで振り切ったのではない。そんな力を使うことを廣瀬さんは好まない。そうではなく、尖ることで存在感を出すバカバカしさに、見る人がそっと気がついたのではないか。
コンテクストデザインについての著書もあるデザイナーの渡邉康太郎さんは、「弱い文脈」が弱いままで状況をつくる力について静かに語る人だ。強い文脈には嘘がある。「私は嘘を言わない。本当のことしか言わない」と大声で叫ぶ人を信用できるだろうか。
この渡邉さんの言葉を借りれば(廣瀬さんの表現では「軽やかさ」になるだろう)、廣瀬さんの作品の数々は「弱い文脈」に属するために、暴力的に人を圧倒することはない。だから敵を作らない。それがために逆に、一つ一つの作品の真意をそれだけで理解しようとする人には落ち着きが悪い。
作品がそれぞれに対話をしながら、あらゆるところに「弱い文脈」が張り巡らされていることに気がつくと、自ずと浮き上がる全体像の見事さに脱帽する。若手の前のめりのアーティストたちも、この洗練さにはかなわないのだと思う。
足を運んでいないで展覧会を語るのは、ぼくも怖い。しかし、考えと表現が洗練されていることの大切さは何度語っても語りきれない。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。