ソーシャルイノベーションの第一人者であるイタリア人、エツィオ・マンズィーニの本を日本語に訳した。先週、『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』とのタイトルで出版された。本コラムで「訳者のあとがき」では書けなかったことを書いておきたい。
世の中のすべてが一挙に変わることはない。一見、大きな変化がすべてを覆い尽くしているように見えても、実際、社会はいくつかの層に分かれている。変わりやすい層が短期間でかわり、変わりにくい層はいつまでたっても同じだ。
例えば、「平成を過ぎてもまだ昭和モードかよ!」との皮肉な批判が頻繁に飛び交う。だが、50年から100年の年月が経ても変わらぬ文化や精神性もある。「良いものは時を超えていつも良い。人の心はそう変わらない」もその一つである。だからこそ、ビジネスのやり方などを批判の標的とするのは妥当だ。
変わるべき層で変わり(あるいは状況に適合し)、変わるべきではない層は変わらない(あるいは適合を拒否する)ことが肝心だ。一つテーマを提示しよう。
幸福とはどのような状況で心に抱く感情だろうか?はたして他者を蹴落とした後の高揚した気持ちであろうか?
マンズィーニの問いだ。
この何十年間か、なにごとも資本主義下のビジネスを基準に競争原理とその適用が強調され続けてきた。
社会主義圏の人々の生活の平等を重視する政策は社会経済的停滞を招き、30年前に東西冷戦が終結して以降、世界の広い地域に渡って自由や競争がより前面に押し出された(共産党の中国においてさえ、である)。
その結果、人々は競争する充実感そのもので幸福を手に入れたであろうか。あるいは、他者より優位になって幸せになっただろうか。
優位に立ったからといって逆境にいる人の生活が視野から消えるわけでもない。どこかに飢餓や病苦で生存が危うい人たちがいる。戦場で射殺される人たちがいる。そういう現実を知りながら人は幸せを感じている。「自分はそこまで悪くない」という相対的な安心からの想いとは関係なく、である。
幸せが競争に勝つことや他人の不遇との比較のうえで感じるものではないことを物語っている。
「皆が、周囲の人たちも幸福だからという理由だけで幸せを感じ、自身に満足し、世界を嬉しく思う時」を如何に獲得するかをマンズィーニは語っているのだが、この何十年間か、こんなにもシンプルな言葉をぼくたちはなかなか吐露しづらかったように思う。
人々は幸せのありかに気づきながらも、競争が絶対善とされるなかで「いや、そこに長続きする幸せはない」と言いにくかった。それは、土俵から降りた敗者のナイーブな台詞と見なされやすかった。
動きの激しい都会に生活しながら生き馬の目を抜くビジネスに興奮する。一方、疲れを感じた時に森林の空気にホッとする。これに似たような見方で、「周囲が幸せだから幸せ」というのはネガティブな心境になった時の救いと位置付けられるのである。
だからと言って、前述で触れた内容に重ね、長続きする幸せは変わりづらい層にありながら、いわば一方的にその心の声を封じ込めてきたと言える…とも実は言い切れない。
他方、このセリフは一度として価値観として捨てるべき対象になったことはなかったはずだ。競争社会を生きづらくするから、とりあえず意見表明する優先順位を下げておこうと思う人が多かったに過ぎない。そっとポケットにしまい込んでいたような感じだろうか。
したがって、競争ロジックに乗りすぎると地球環境から日常生活の心持ちまでも含め「もう、いい加減やってられない」と感じ、あらゆることを大幅に見直そうと思った時、「我々の幸せって、どこにあるんだっけ?」と問うたのである。
そして、「経済的動機だけで、ぼくたちは活動しているわけじゃないよね? 仲間と一緒に何かやって遂げられたとき、嬉しいじゃない。あの感覚が幸せなんだよ」と確信を持ち始めたのである。そこからスタートしないと地球にも迷惑がかかると自覚し始めた。
ある意味、変わってはいけない価値観が、他の価値観が群居するなかで埋没気味であったところ、再びスポットを浴びるに相応しいと考える人が戻ってきた。それもノスタルジックな価値観としてではなく、あらたにつくり直すことも辞さない覚悟である。長い間、人に顧みられることがなく荒廃しきった自然にまた手を入れるようなものだ。
こういう例を考えながら、価値や考え方を「消去させる」のではなく「一時保存」の状態にしておくにはどうすればいいのか、とぼくは思いを馳せる。アーカイブへの期待である。
PCのメタファーなど使いたくないのだが…。
『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』 エツィオ・マンズィーニ 著、安西洋之・八重樫文 訳
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。