自宅からオフィスに向かう途中に労働組合の事務所がある。今年のはじめまで、その前の歩道に人が集まっているとしたら事務所で働く人たちが同僚とタバコを吸うためだった。だが、この6-7月くらいから見慣れない人たちが集まっている。
理由は明らかだ。パンデミックで労働条件に何らかの不都合があり、労組に入会すると決意したか、既に会員であったが何らかのヘルプを要する人が増えてきたのだ。かなりの規模の企業でも、ロックダウン中のトラブルから業界別の労働組合に入る社員が増えていると聞いている。
一人で組織と闘うのはなかなかシンドイ。
話がガラリと変わる。ぼくは長距離移動の航空券を購入するに旅行代理店を使うことが多い。短距離の場合はオンラインで買うこともある。だが、長距離は馴染みの代理店を経由する。
何らかのトラブルの際、航空会社を相手に個人で奮闘しなくてもすむからだ。購買力を勘案する相手は、購買力のある法人を間に挟むに限る。
2011年3月13日、東京からミラノに戻る予定だった。しかし11日の東日本大震災の直後で飛行機の運行は大いに乱れた。その時、日本からミラノの旅行代理店へのメール一本ですべてイレギュラーの対応をしてもらった。
他にも経験がある。かなり前になるが、レンタカーを使ってアルプス山脈の海抜高度1000メートルくらいにある友人のセカンドハウスに行ったときのことだ。友人は先にミラノに戻るからとぼくたちをおいて、週明けに先に帰った。
ぼくたちがいざ出発しようとすると、エンジンがうんともすんとも言わない。
バッテリーの問題だろうと近所の見知らぬ家を訪ね、クルマを出してくれるように頼んだ。しかしながらトラブルの原因はバッテリーではなかった。
そこで頼ったのが、レンタカーを手配してもらった旅行代理店だった。
旅行代理店の人はぼくの事情を把握し、次のような返事を一発でくれた。
「よし、分かった。ミラノから迎えのクルマを手配する」
そうして2時間以上の距離を走って高級車のハイヤーが山奥までやってきた。大手のレンタカー会社を相手にぼくが交渉しても叶わない離れ業だった。この時ほど法人と法人の取引を感謝したことはない。
こうした数々の経験から、オンラインをそれなりに使いながらも、面倒がおきるとコストや手間がかかると想定される場合、極力、顧客として重要であろう法人をかませるようにしている。大きな組織が一個人よりも大切な法人客を優先するのは、哀しいかな、受け入れざるを得ない現実だ。
インターネットの普及により個人のパワーが万能感をもつかのような台詞がよくある。これまで情報の非対称によって成立していた多くの営みが、インターネットによってその非対称が崩れたことで、ガラス張りになったためだ。
そして形式上は一対一と思わせる仕組みもなじみができてきた。ぼくもイタリアの銀行とのやり取りは、自分のアカウント内でのチャットを利用するのが普通だ。
しかし一対一は、あるシーンでは機能し、あるシーンでは機能しない。冒頭の労組への加入増がよい例だ。
現代の大きな特徴は、伝統的にあったコミュニティの消滅により個人がむき出しで社会と対峙することになったことだ。それによって発奮する人と落ち込む人がでてくる。
ただ、どういう精神状態であろうが、1人ではどうにもならないことが世の中には圧倒的に多い。だから、その1人がああだこうだと考えながらも、他に仲間をどうにか見つけていくとのプロセスはどうしても必要だ。
ただし、何から何まで、いつも同じ仲間と顔を突き合わせて、さまざまなテーマに取り組むことはない。自分の得意不得意や好みに合わせてコミュニティを使い分け、コミットのしかたに強弱をつけていけばよい。この強弱を個人のレベルで選択できなかったのが、伝統的なコミュニティであったのだ。だから、その窮屈さに再び嵌り込むのは避けたい。
だが、その先が窮屈であると予感しても、寂しさや不安から小さな穴に潜り込んでしまうことがあるものだ。いかんともしがたく人は弱いのである。
したがって、自己責任などという言葉に振り回されてあまりに張り切り過ぎることなく、適度に他人に頼ることに寛容である社会であって欲しい。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。