日本の人は自己表現が下手との自己反省が多い。しかし、これは上手いとか下手とかの優劣の問題だろうか? もしかしたら、もっと別の側面が隠れているのではないかと思うこともある。
ぼくも奥さんもかかりつけの歯医者は日本にある。それぞれ別のところだが、イタリアで住み始める前から付き合いのある歯医者だ。歯医者以外はイタリアの病院に世話になっている。
イタリアの歯医者は健康保険がきかないのもあるが、歯をいじられるのは長い間の付き合いのある人にお願いしたい。しかし、それでもトラブルが起こることはあるから、その時はイタリアの歯医者に出かける。
たまたま、今週、奥さんが「歯が痛い」と言い出し歯医者にかけこんだ。そしたら、その場で「これはインプラントするしかない!」と診療台で言われた。口を開けたまま、痛いところで「治療はそれしかない」と言われれば、「ちょっと考えてみる」とは答えられない。
それで治療が終わったところで、歯医者と衛生士の2人から「すごい! なんと立派な患者なのだ!」と奥さんは褒められた。「えっ?」ときょとんとした彼女に対して、2人は「よく我慢した。他の患者はもっと大声で叫んだり、人によっては口に入れた私たちの手に噛みつく」と説明する。
奥さんが「まあ、子どもならよくあることでは…」と言うと、「いや、いや、大人の患者が噛みつくんだよ」と。
歯医者も命がけじゃないか。とにかく、そう珍しい話ではないようだ。
こういうこと、日本でもあることなのか。聞いたことがなかったが、専門家に聞いてみようと、赤坂見附のホテルニューオータニ内で開業している友人の田北行宏さんとチャットした。彼はかつてスウェーデンの病院でも働いたことがある人だ。彼に「こういう話、ありますか?」と尋ねた。以下、再現である。
(田北さん)「あはは! あり得ませんね(笑)。やはり日本人は辛抱強いのでしょうか? まあ、イタリアの歯医者では、患者さんの頭越しに衛生士とケンカしたりするそうですから」
(ぼく)「やっぱり! その頭越しのケンカは、今日見たそうです(笑)」
(田北さん)「そういう歯医者に、私も憧れております。当院は品行方正過ぎて(笑)」
(ぼく)「衛生士が一発で欲しい器材を渡せないと、もう大変という感じらしいです」
(田北さん)「自由ですね。それでストレスがたまるのか、たまらないのか? イタリアの歯医者になりたいです(笑)」
(ぼく)「噛まれても?」
(田北さん)「やめておこうかな…」
このやりとりをしているなかで、奥さんが子どもの出産の時、分娩室の前で他のママにならんとする女性たちのもの凄い叫びを聞いて、「いったいここはどこなのだ?」と思ったと話していたのを思い出した。
そこで、これには痛さをこらえる我慢強さと自己表現の二つのテーマが関わっていると気づいた。
他人をたてて自分が裏に回るとか、自分が犠牲になってチームが上手くいけばいいとか、これらは日本で美点として捉えられる。これら自体は決して悪くない。
また、それはそれで十分な自己表現だ。表立ってする発言だけを自己表現というのではないだろう。
反省されやすいのは、態度の選択が奥ゆかしすぎるときだ。自らの感情や意見を表に出しても良いと周囲が思うときでも、それを控えてしまう。これは「出過ぎた真似だ」「感情を表に出すなど子供っぽくはしたない」と非難されることを恐れている。
だから自分を表に出すことを我慢することにする。自己表現が下手なのではなく、自分を抑えるのが得意なのである。
問題は得意でありながら、それを自分の強みとは正しく自己評価するに至りにくいことなのだろう。
患者が歯医者の手を噛まない文化を再評価すべきではないだろうか。強烈な男性的なリーダーシップが歓迎されず、他人を慮りながら機敏な決断に躊躇しない女性的なリーダーシップが求められる時代にあって、殊に、である。
最後は田北さんの言葉で締めよう。
「スウェーデン人も、自然に我慢強かったですよ。病院に勤めて、最初に看護婦長からあった言葉は『ドクター田北、ローゴンという言葉を知っている? これは、ほどほどに、という言葉なのよ。スウェーデンは一隻の船なの。そこであなた一人が自己主張したら船が揺れて、皆が迷惑するのよ。何事もほどほどに。ローゴンという言葉を忘れずにここで過ごしてね』と諭されました。イタリアン、本当に自由ですね(笑)」
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。