自分が頭で考えているということは、どこかで同じことを考えている人がいる証のようなものである。しかしながら、そういう人が世界に何人くらいいて、どこに住んでいるかはまったく分からない。
似たようなことを考えている人まで含めれば、もう少し顕在化してくる。そこでその人の書いたものを読んだり、直接話を聞いたりする。すると、「確かに近いけど、どうも最初の想いの違いが考えの差異を生んでいるのでは?」と気づき、不即不離でいこうと決意する。どこか具体的なことで交差するだろうとの期待はもちながら。
一卵性双生児にみるように、まったく同じ日に同じ場所で生まれ、同じ環境で育っていても考え方は異なるものだ。だから考えがまったく同じことはあり得ないが、肝心なのは「この人は同じことを考えている!」との実感である。
さて年明けの一発目の仕事で、こういう実感をもった。
米国東海岸で仕事をしているハンガリー人女性へズームでインタビューをした。年末にまったく偶然目にした記事から執筆者の考え方に関心を抱いた。それで彼女の書いた記事を何本か探した。「うん、いける匂いがする」とぼくの嗅覚が反応した。ぼくが2年間ほど追っている新しいラグジュアリーがテーマだ。
過去、ラグジュアリーがどうあったか。何をラグジュアリーの条件とするか。こういう過去や現状の分析についてはマーケティングの研究者たちがさまざまなところで語っている。ぼくはそういう人たちと会い意見を聞いてきたが、彼女はドイツの大学で社会学の観点からラグジュアリーを研究し博士号をとっていた。
これはまったく会ったことにないタイプだったのだ。即、インタビューのアポを申し込んだ。
彼女はパリの大学と大学院で心理学や人類学、コミュニケーションを勉強しながら、欧州のトップファッションや高級化粧品のモデルとして世界中を駆け巡っていた。その後、ドイツの大学の博士課程に進学したのだ。
そして昨年、博士号をとり米国でファッションとラグジュアリーに関するシンクタンクを立ち上げたのである。モデルとしてはそれなりに名が知られていたようだが、研究者としては「これから」である。
しかし、彼女の話は抜群に面白かった。これまで聞いてきたどの研究者や実践者の意見よりも感度が研ぎすまされていた。
彼女はマーケティング的観点からの分析が有用であると理解しながら、そこだけでは新しいラグジュアリーを深く捉えるには不十分であると見てとった。「なぜ、ラグジュアリーが求められるのか?」「どうして、ラグジュアリーの意味が変化していくのか?」については、別の見地からのアプローチが必要であると痛感し、社会学を選んだのであった。
父親が著名な脚本家で母親が舞台女優との環境に育ったためか、知的雰囲気のある場が自分の生きる場とは自覚していたようだが、決してファッションやラグジュアリーの研究が最終目的地とは予想していなかったらしい。
だが、これまで勉強してきたことと仕事をしてきたことを統合した先に新しいラグジュアリーというテーマの研究があると気づき、心底ワクワクしたらしい。
仮に彼女がこのテーマで既に有名な研究者であれば、ぼくが彼女に会う機会もあるはずだ。言うまでもなく、ぼくがそういう「サークル」で声をかけられやすい立場にいるわけではなく、単純にぼくが彼女の成果を目にする確率が高くなるとの理由だ。
だが前述したように、彼女は30代前半の「これから」の研究者だ。リアルな行動範囲で彼女とダブるところは、ほぼ何処にもない。それでも、あるテーマをほじくり回していると、いつかどこかで今回のような出逢いがおこる。
つくづく、ネットワークとは世に知られた人とのネットワークではなく、「これから」が期待できる人たちとのネットワークに意味があると感じる。既に名のある人と知り合うのはそう難しいことではない。しかし、潜在力の高い人たちと知り合っていくには、かなりの努力が必要だ。
常に嗅覚をきかせ、今あるネットワークに満足しないオープンな態度を維持しないといけない。たまに惰性に走ることもあるが、正月早々このような経験を得ると背筋がピンとする。ここから勢いをつけていこう。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。