イタリア中部のウンブリア州にあるファッションメーカー、ブルネッロ・クチネッリのことを本連載で初めて書いたのは2013年だと思う。ファッション業界で働く友人が、企業経営の側面からぼくが関心をもつはずと紹介してくれたのだ。そして創立者のクチネッリ氏に最初にお会いしたのは翌年3月だった。その後、彼とはウンブリア、ミラノ、日本で何度も言葉を交わしてきた。
毎年(たぶん)1回は本連載に、そして他の媒体にも何回か書いているので、ブルネッロ・クチネッリについての記事を合計10数本は書いているはずだ。自著の2冊でも紹介している。2018年、伊語・英語で出されたクチネッリ氏の回想録もその当時に読んだ。
だが、最近、この8年間のぼくの理解は浅く甘かったと気づいた。同社がエルメスと同等のブランド評価を受ける背景を表層的にしか捉えていなかった、と。この度、日本語になった回想録『人間主義的経営』を読みながら、数々のあらたな気づきが頭のなかをぐるぐると回りだした。
例えば、初めてのインタビューの時に彼が話してくれた「人への尊厳がクリエイティブに繋がる」という自身の経営哲学を語るフレーズ。これを字面通りにしか理解していなかった。本当に腹落ちしたのはこの1-2年だ。
先週も書いたストックホルム経済大でリーダーシップを教えるロベルト・ベルガンティ氏と一緒に仕事をしてきて、「人は自分で考えたことにはオーナーシップをもち、それがクリエイティブリーダーシップを支える」というロジックが身体で分かってきた。(先週も書いた→【ローカリゼーションマップ】物事の全体像を見るには 「問題解決」と「意味形成」の関係性だけでは不足)
だからこそ、その人を大切にしないといけない、つまりは尊厳が第一にくるのだ。人を大切にすることを最優先する社会になれば、結果として人はクリエイティブになる。それがひいては富を生む。言うまでもないが、富を生み出すためにクリエイティブであることを目指し、人を大切にするのではない。考え方の順序が逆であってはいけない。
また「田園風景の美しさとともに、都市郊外にある現代社会の深い問題に自分は関心を寄せている」とクチネッリ氏は語った。この問題意識も、当時は文脈が読み切れていなかったと気づいた。
中小都市とその郊外、その周辺に広がる田園風景、これらの要素がイタリア語では「テリトーリオ(地域の意)」として環境・都市計画の次元では捉えられる。歴史、文化、アイデンティなども包括している1980年代以降にある潮流だ。
ちょうど1989年にスタートしたスローフード運動により農家と都市の間にリンクが作られはじめたことも、テリトーリオの概念にさらに中身を加えた。そうして都市と田園は繋がるとも、1950~60年代の高度経済成長期に発達した郊外の工業団地や集合住宅群(ベッドタウン)は文化不在のまま長い間、人々のケアの対象になってこなかった。
昨年、ソーシャルイノベーションのエキスパートであるエツィオ・マンズィーニ氏の『日々の政治』を翻訳しながら上述の内容が視野に入ってきて、クチネッリ氏が将来に残すべき田園風景の美へ拘り、郊外のことに心を痛めていることの背景にぼくは合点がいった。
彼が少年時代、家族は貧しい農家として農村に生活していた。高校生の頃、父親が郊外にあるセメント工場の工員として働き始め、同時に住まいも郊外に移った。そこで職場で父親が人として扱われないことで精神的に参っていることを知り、クチネッリ青年は将来、人の尊厳を第一とする事業に携わろうと心を決めたのだった。
即ち、彼の事業動機と郊外にまつわる問題が密接に関係していたことを、環境全体の構図と歴史のなかで再認識したのだ。
クチネッリ氏が英国19世紀の思想家、ジョン・ラスキンの表現に惹かれているのも注目に値する。ラスキンはアーツ・アンド・クラフツ運動を率いたウィリアム・モリスの思想的先駆者にもあたる。産業革命によって引き起こされた社会的乱れに異議を唱えた人たちである。
実は、この2年間、ヨーロッパにいる新しいラグジュアリーを探る起業家やリサーチャーと話していて、彼ら/彼女らがほぼ共通してラスキンやモリスを何らかの指標として位置づけていると分かった。加えて、新しい道を探っている人たちに「ブルネッロ・クチネッリが一つのモデルになると考えますか?」と聞くと、これまたYESと即答がくるのだ。
もちろん、ビジネスとしての表現は人さまざまであろう。リサーチャーの結論も皆、同じになるとも思えない。だが、そうした人たちが少なくても視野のなかにラスキンやモリスを入れ、その21世紀版としてブルネッロ・クチネッリを近景においているのは確かなのだ。
それだけではない。アマゾンのベゾス氏やシリコンバレーの企業家たちもクチネッリ氏の経営姿勢には深い関心を抱いている。新しいラグジュアリーとITの役者たちが同じところを見ている可能性がある。(クチネッリ氏の経営姿勢には深い関心→【ローカリゼーションマップ】ベゾスを招いたブルネッロ・クチネッリ シリコンバレー長者と語ったこと)
というわけでクチネッリ氏の哲学はさまざまなところで存在感を発揮している。冒頭の友人は、イタリアでも10年前はファッション業界の人だけが知るブランドであったが、今は人間主義的経営を実践している企業として一般の人が認知していると語る。
最後になったが、訳者の岩崎春夫氏の「資本主義の使い方」を説いたあとがきも秀逸だ。むしろ本書はあとがきを読んでから、クチネッリ氏が農民の子として育ったエピソードを辿ると心に染み入るかもしれない。そして全章を読了して最後にもう一度、つまり2度、あとがきを読むのである。世に溢れる多くの(新自由主義的)資本主義批判にある空虚な部分を埋めてくれている。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。