「三日三月三年」という表現がある。ネットでみると「3年も我慢すれば壁をのり超えられる」という解説を散見する。ぼくは3という数の単位ごとに「あることを悟る」と理解している。
最近、この「三日三月三年」を思い起す。1990年にイタリアのトリノで生活をはじめた時、日本人の実業家であるボスに次のように言われたのだ。 彼は1960年、ローマオリンピックの時にイタリアに来たのだった。
「三日三月三年というが、ぼくは、それに三十年を加えたいと思う。今年でイタリアに住み始めて三十年になる。この頃、イタリアのことを今までとは違ってより深く理解できるようになった気がする」
確かに3日目で宿泊しているホテルの周辺を歩くのに自信が出てきた。3か月もすると、自分なりの生活圏に愛着をもてるようになった。3年を経て、イタリアの生活の何が分かり、何が分からないか、およその見当がつきはじめた。
3年経ても分からない例といえば、昨年の冬の雪は多かったのか、今年の秋は寒いのか、ということだ。7-8年の雪の多少や温度の高低を経験しないと確信をもっていえないと感じた。
したがって7-8年の滞在経験があれば、それ以上の年数、10年であろうと20年であろうと、確信をもって語るにあまり影響はないだろうと思ってきた。
もちろん、人によって経験する種類や範囲は違う。子育てをしなければ学校事情は守備範囲に入らない。ぼくの場合、イタリア人と結婚したわけではないので、イタリアの親族間にあるトラブルの特徴はよく知らない。
前述のボスには、「イタリア語をどれだけ分かるかは、どれだけ広範囲のことを実際に経験するか次第だ」と言われた。
クルマの仕事をして車の部品の言葉を覚えた。奥さんが妊娠して産婦人科系の言葉を知った。赤ん坊の行為を表現する言葉は実際に赤ん坊が誕生してから耳に馴染んだ。
そして子どもが大きくなると、赤ん坊をあやす言葉も忘れていく。既に産婦人科系の語彙はぼくの頭の中に乏しい。そのかわり、ぼくが最近かかった病気の言葉が頭のなかに残っている。
経験の総量に見合う言葉の数々を獲得して維持するのは、少なくてもぼくのキャパを超えたことだった。経験の絶対的な量は増えるが、使わない言葉は記憶から消去されていく。
こうなると、「滞在年数が多ければイタリアが分かる」なんていうのは、ますます空言のように思える。だから30年後に分かるとすれば、世代交代によって生じることではないかとずっと思い、そのうちに30年を指標とすること自体を忘れていた。
昨年、イタリアに来て30年目だった。「ああ、30年が経たなあ」と感慨深く思うこともあまりなく、それよりも「あれ、なんか今までと違った次元でイタリアのことが見えてきたのでは?」と自問することが増えて驚いた。
30年前、ボスはこの感覚を語っていたのではないかと考えるようになった。ボスが30年間にやったことと、ぼくが30年間でやったこと、これらの2つを比較するのがおぞましいくらいにボスの偉業は、ぼくの目に眩しい。
だから比べることはあるまいと思っていた。だが、30年という単位でぼく自身が見てきたイタリアを思い返す意味はあると気づいた。
人は小さな些細な経験の集積に基づいてものを考える。しかし、この集積とは単に縦に積み上げていくものではない。それぞれの経験が立体的な複雑な網になっている。ある方向からは見えるが、別の方向から覗いても見えないーつまり経験を忘れているか、無縁のものとして視界に入ってこない。
ただ、それらの数々の経験はある局面において、あるいはある一定の時間を経て、一つの統合したものとして瞬間的に目の前に立ち現れてくることがある。「ぼくは、このためにさまざまな経験を積んできたのではないか?」と自問自答するほどである。
この自問自答するほどの瞬間に時間的な法則性はない。経験が成熟というか、発酵というか、そうした表現が似合うタイミングである。
それでも、「三日、三カ月、三年、三十年」という数字の妙によって導かれているような気にさせられる。そう、思わせられる30年目だった。noteに「イタリアの地方の風景と自分の経験を照らし合わせてみる。」というタイトルの文章を書いて、ますます、その思いは強くなった。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。