ローカリゼーションマップ

ヴァレンティノの動画が“炎上” 異文化にからむ地雷

安西洋之

 文化はいつの時代においても大切な存在だ。この10-20年、その重要さがさらに増している。ビジネスの世界においても、文化が多面的に捉えられるようになった。「文化を知るのは売り上げを向上させるため」だけでなく、「文化は社会の余裕」だけでもない。「文化を知らないと、人の生命を危機に陥れる」「文化の無知は社会統合の阻害になる」などさまざま点に及ぶ。

 3月、一つの動画が日本で炎上した。イタリアの高級ファッションブランドのヴァレンティノの動画だ。モデルの日本人女性Kokiが畳の上で靴を履いている。着物の帯を連想される長い生地の上を靴で歩く。そんなシーンがあった。

 これが文字通り「日本の文化を踏みにじった」と解釈されたのである。ヴァレンティノはこの批判に対して謝罪を行い、動画を削除した。

 最近の特徴は、こうした「事故」が瞬時に目立つようになったことである。かつてもそういう「誤解」はたびたびあったが、ソーシャルメディアで拡散して多くの人が即知ることもなかった。あるいは、「誤解」が文化的不平等の産物であるともさほど認識しなかった。

 19世紀のフランスの画家が日本人女性を想像して描いたことは、日本の文化的プライドを傷つけられたというより、当時の文化的中心地である欧州で日本文化が認知されたと(後で)思った人が多かっただろう。

 それが現在、異なる文化の相互理解を促すプロセスとみなすのか、イノベーションの単なるネタなのか、経済的文化的優位性をもつ立場の文化盗用であるのか、さまざまなレベルで判断される。

 フランスの歴史学者、フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 1-1 日常性の構造』という本を読んでいる。そこにワインの銘酒の誕生は18世紀の中葉であったとあり、「地域相互の相違が大きくなるにつれて、ぶどう酒はしだいに贅沢品として発達していった」と説明している。

 ローカルの独自性がビジネス上の財産でもある。

 振り返ってみると、1990年前後から急速に拡大したグローバリゼーションであるが、並行してローカルの存在に目を向ける動きも出てきた。一つにはグローバルな均一化への息苦しさもあったのかもしれない。アイデンティティ喪失の危機感もあっただろう。

 この10年ほど、「グローバルはフラットだ」との言説はあきらかに極論であったとの反省もあり、ローカル文化に対する見直しが意識されている。つまり18世紀半ばのワインのような機運になっている。

 他方、前世紀から西洋文化への世界の評価が下降傾向にある。政治経済の影響力が弱体化したからだけでなく、その弱体化の向こう側にある要因が絡んでいる。

 欧州各国が宗主国であった植民地時代への反発がまだ終わっていない。宗主国の文化は上位にあり、植民地の文化はエキゾチックという要素にフォーカスし、宗主国は好みに応じて異国情緒あるテイストを好きに使ってもよいだろうとの態度を示してきた。その西洋中心的な見方が、とことん西洋以外の人々から嫌われている。

 しかも、欧州人が反省しても、反省がまだまだ不足していると追及されている。なぜなら、相変わらず前述のような「事故」が起き続けているからだ。

 もちろん、日本の企業や人々の間にも「旧宗主国的な視点」がないとはいえない。第三者として傍観できる立場ではない。

 ぼくは2005年あたりからローカリゼーションマップをはじめ、ビジネスにおける異文化理解の大切さを説き始めた。

 変化の推移はこうだ。

 1980年代まで異文化理解とは人間工学的な側面が強かった。市場の多くのユーザーの身体にあわない製品は使えない、と。1990年以降、一般の人が電子機器を使うようになり、人間工学だけではく、認知科学の面にも注意を払う必要がでてきた。カーナビの提示する情報を即把握できないと、運転者かその周辺の人の命を危険に晒すからだ。

 今世紀に入りソーシャルメディアが発達したことによって、あらゆる文化的違和感が瞬時に明るみになるようになった。時に、支配的と(思われている)文化圏の企業が他の文化圏の要素を用いることを「文化盗用」と指摘される。

 異文化要素の利用そのものも、オリジナル文化への敬意があるかが問われ、それ次第で文化盗用か否かが判断されるとは考えられるが、敬意の有無が具体的にどのような行為によって示されるのかは議論の焦点になる。

 引用元を記載すればよいのか、オリジナルの国の人たちの意見を聞いておけばよいのか、線引きはそう容易ではない。

 かといって、他の文化の要素をまったく使わない表現など現実としてあり得ない。さらに、ある国の人々においては他国の文化を輸入して100%消化したつもりになっているが、オリジナル文化発信国の人々はそれを趣味の悪い改悪版程度にしか見ていないものだ。

 異文化にからむ地雷はあなたが想定している以上に多い。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。