自転車は人々にとても愛されている道具だ。自動車はここまで愛されていないだろう。なぜ、自転車は道具としてこうまで愛され、その存在に文句を言われず、肯定されやすいのだろうか。否定されることは稀だ。
1970年代初頭、思想家/文明批評家のイヴァン・イリイチは「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」(con=共に、viviality=生きる)という概念を提唱した。行きすぎた産業社会への批判を基にした、人と道具の関係について考える枠組みだ。道具が人の能力を拡大する段階を第一の分水嶺と呼ぶ。逆に道具が人を隷属させる、あるいは人が道具に依存し過ぎるポイントを第二の分水嶺としている。
例えば、2021年に生活する人々はスマホが人の能力を拡大してくれたとは認めながら、同時にスマホにすべてが振り回されていると感じていることが少なくない。それも知らず知らずのうちに、である。この後者の状態が第二の分水嶺だ。道具に関する多くの悩みどころは、第二の分水嶺にどう立ち向かうかにある。イリイチは自転車を理想の道具の一例としてあげているのだ。
そこで、道具あるいはテクロジーについて以下のような問いをたてることができる。
- そのテクノロジーは、人間から自然環境の中で生きる力を失っていないか?
- そのテクノロジーは、他にかわるものがない独占をもたらし、人間を依存させていないか?
- そのテクノロジーは、プログラム通りに人間を操作し、人間を思考停止させていないか?
- そのテクノロジーは、操作する側と操作される側という二極化と格差を生んでいないか?
- そのテクノロジーは、すでにあるものを過剰な速さでただ陳腐化させていないか?
- そのテクノロジーに、わたしたちはフラストレーションや違和感を感じていないか?
これらは緒方壽人さんが著書『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』で提示している6つのポイントだ。イリイチの「自然や他者と共に生きるためのテクノロジー」とのコンセプトは、緒方さんによって「テクノロジーとコンヴィヴィアル(共に生きる)」なものへと発展している。
緒方さんは工学部出身のデザインエンジニアだ。まさしくその彼が、人間とテクノロジー、特に知の力をもったテクノロジーとの関係について熟考している。
イリイチが理想の道具と挙げる自転車は、6つの問いのいずれにもNOで答えられる。自動車やスマホの場合、すべてにNOとは言いがたい。
つまり「コンヴィヴィアル」であるかどうかが、第二の分水嶺を乗り越える基準になる。どの道具が機能として良いか悪いかではないし、物理的な力を主力とする道具と知的な力をメインとする道具でも違うのだ。
そこで緒方さんはさまざまな角度から、それこそ責任や寛容といった哲学的な議論に踏み込みながら話を進める。そして「ユーザーは自らをコントロールしてスマホを使う時間を減らす」といったこの手の話でよくあるポイントに着地しようとしない。
まず自ら「道具をつくる」ところまで立ち戻り、「道具を使う」のあとに「道具を手放す」という選択肢を用意するよう提案しているのだ。即ち、道具の使い方のいわば水平に広がる選択肢の一つに、それを一時的に視界の脇か外におくことを入れている。そして緒方さんは、次のようにも書く。
“ここで注意しなければならないのは、わたしたちは、本来「つくれる」し「手放せる」はずの道具であっても、生まれたときにすでに存在していたものや、認知限界を超えて大き過ぎたり複雑過ぎたりするものを、まるで自然のようなものとみなしてしまう傾向にあることだ。”
ぼくはデジタルネイティブの世代のもつ感覚やスキルに大いに期待している。彼ら彼女らに多くのことを委ねた方がいい。そう思っている人たちは世代を問わず多いはずだ。なにせ、彼ら彼女らは文字通り、生まれた時から「あるのが自然のようなデジタル環境」で生きてきたからだ。
だから非デジタルネイティブ世代は、デジタルについて新しい世代に対して語れることは少ないと思いがちである。だが、反対に非デザインネイティブ世代は、情報処理能力の発展史を何となく知っている。したがって、このデジタル世界はつくり変えられる余地が大きいと思っている…というのが、緒方さんの前述の言葉から導き出せる推測だ。
若い世代の足を引っ張るのではなく若い世代を鼓舞するために、その経験や想いを使えるだろうか。彼ら彼女らに何らかの智恵やデジタルの道具が生まれた当時の人々の喜びと戸惑いをナラティブに伝えた方がいいのではないか。
「そんなの聞き飽きたよ!」と若い世代に言われるかもしれない。その時にそそくさと退散するのではなく、対話を試みるとすれば、どんなスタイルと内容が良いのだろうか。
『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』 緒方壽人 (著)
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。