6月11日、サッカーのUEFA欧州選手権2020が始まった。決勝は7月11日だ。昨年開催の予定だったのが今年に延期になった。ワールドカップと同じく4年に一度だが、欧州選手権はワールドカップの中間年に実施される。
ミラノの自宅にいるとテレビを見ていなくても自ずと試合の経過が分かる。イタリア代表がゴールを決めると近隣の歓声で騒がしいのだ。普段、国内リーグ戦に関心のない人でも、この欧州選手権やワールドカップになるとゲームに熱くなる。
ただ、他のスポーツと同じくサッカーもビジネスサイズが大きくなり、お金の匂いがプンプンと匂う。
「それも仕方ないかな」と一瞬思うが「ちょっとウンザリ」と思った時は他の人もそう思っているもので、欧州新サッカーリーグ構想「欧州スーパーリーグ(ESL)」の頓挫など、まさにそれだった。
各国国内リーグの上位チームで戦う現在の欧州チャンピオンズリーグに加え、リーグを構成するチームを固定するエリートリーグを新たに創設しようとのアイデアが今年4月に公表されたのだ。そうしたら、数日のうちに叩き潰されてしまった。
各国の中堅チームやファンだけでなく政府でさえ大反対したのだ。それほどに欧州ではサッカーは文化として慎重に扱うべき対象になっている。
さて最近、佐山一郎『日本サッカー辛航紀 -愛と憎しみの100年史-』という本を読んだ。2018年に出版された日本のサッカー史だ。
そこでぼくは多くのことに気がついた。
1990年代、日本の人たちが「俺、サッカーのこと昔から知っているんだぜ」とわざわざ自慢げに話す背景が分からなかった。「実はサッカー少年だった」「海外の試合を見るにテレビ東京の番組・ダイヤモンドサッカーを見ていた」と告白気味に話すものだった。
1993年、Jリーグが発足し2002年のワールドカップ招致に盛り上がっていた頃の話だ。
ぼくは1990年からイタリアにいたので、1990年のイタリアのワールドカップあたりから欧州にリサーチや研修でくる日本のサッカー関係者たちと雑談する機会があった。彼らはリーグや代表チームのコーチや監督だ。
その彼らが好んで話すのが、1968年のメキシコ五輪での銅メダルを頂点とした日本でのサッカーブームだった。学校のサッカー部の数も倍になった時代である。
野球の巨人9連覇とも時代が重なる、その黄金時代を現役として過ごした人たちが、メキシコ五輪の頃を懐かしむのである。
ぼくが本を読んでびっくりしたのは、メキシコ五輪の銅メダルに至る前の日本におけるサッカーの認知度の低さである。
その4年前の東京五輪の頃、ヘディングを見て笑い出す観客がいたという。また小学生向けの五輪パンフレットには「選手の迷惑になるので静かに観戦しましょう」と注意書きがあったのだ。
メキシコ五輪で釜本邦茂と共に大活躍した杉山隆一が1954年、静岡の中学のサッカー部に入った際の父親との会話がふるっている。
「サッカーってなんだ?」と聞かれたので「手を使わずに足でボールを蹴るスポーツだ」と息子が答えると、「なにいッ、手を使わんだと。せっかく五体満足に生んでやったのに、おまえっていう奴は!」と怒鳴られたのだ。
要は10数年ほどで日本のサッカー人気はゼロから急伸した。そして五輪銅メダルの後、1970年代から1980年代は「冬の時代」となったらしい。日本リーグの試合の観客平均数が1000人台で続く期間もあり、ワールドカップはもとより五輪にも出場できない時期が長くあった。
なるほど、前述したように、だから冬の時代のサッカー歴や観戦歴が春を迎えて誇らしかったのだ。
実はぼく自身も小学校のときはサッカー少年だった。だが、中学の部活で先輩の「横暴な政治」に嫌気がさし、同時にサッカーにも興味を失っていた。
それを長く個人的な状況による趣向の変化だとぼくは理解していたのだ。それが実は「サッカー不人気」という流行に乗っかっていたのである。
そのことに本を読んで気がついたのだ。
自分が流行にのろうとかのらないと考えていたのではなく、なんとなく自らの道を選択したのだと思っていたが、大きな水の流れに自然とついていったことになる。
とすると、1990年代に長く隠れファンであったことを自慢していた人たちは、やはりそれなりに自慢してしかるべきで、彼らをぼくは敬意をもって賞賛するのが良かったのかもしれない。
今となっては遅すぎるが、彼らにとても申し訳ないことをした。
「ごめんなさい」
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。