ローカリゼーションマップ

「人生の主人公は自分である」 生きること自体を楽しむイタリア人

安西洋之

 (はじめから、そうするつもりでもあったが)たまさかイタリアに長く住んでしまったので、日本の人からもイタリアの人からも、「イタリアの生活ってどう?」と何気なく聞かれることはとても多い。会話のネタがなくて聞くこともあるだろうから、ぼくもいつも本気で答えるわけではない。 

(c)Ken Anzai
(c)Ken Anzai
(c)Ken Anzai

 日本の人からよくあるアイテムでは「イタリア人って生活を楽しむのでしょう?」という確認にも似た質問である。「日本の生活と違って気楽でいいね」という(聞いている本人には自覚のない)毒を含んでいることが透けて見える。

 日本語でいう生活は「日々の生活」を指している。他方、イタリア語の生活は人生と同じ言葉(VITA=ヴィータ)であるから、イタリア人が「ヴィータを楽しむ」とは生きること自体を楽しみ、そして日々の事細かいことにも面白さを積極的に見いだそうとする姿勢からくる。

 語ろうとしている対象の広さが違う。それをいちいち注釈をつけて説明するのも億劫だし、聞いた人もそこまで厳密に知りたいわけではないだろうから、「まあね、楽しんでいるみたいですね」と適当に流すしかない。

 半ば確信犯的に「誤解を生む」当事者になるのである。だから、ここではもう少し誠実な回答をしておきたい。

 上記をどこから話すべきかといえば、「人生の主人公は自分である」という考え方が徹底している点からではないか。他人のために生きるのではなく、自分のために生きるのであるから、自分の想い通りに軌跡をつくっていきたいと考えるのがごく自然である。

 そして最終アウトプットではなくプロセスとしての面白さを追求していけば、一瞬一瞬こそが大切だと思えてくる。良いことがあれば自ずと笑みがこぼれるのは当たり前だ。

 逆に「楽しまない」という考え方にこそ無理がある。本人の意思の問題なのだ。

 よく日本の雑誌がイタリアのライフスタイルや職人の言葉を「かっこいい」と形容したりする。「あれは本当の姿なのか?」とも聞かれる。

 まず、かっこいいかどうかは主観的に感じることなので、そう判断するかどうかは人の勝手だ。しかも、イタリアで見慣れた風景であり気に留めることもないことも、およそ日本の風景と比較してハッとすることが多いのだろうから、これは文化差によって生じる現象とも言える。

 さらにイタリアの美学を言うならば、かっこよくする工夫をあまり表に出さないことを趣味の良さとするので、自己陶酔的な、演じた(過ぎた)姿はいただけない。

 結局、前述の「生活を楽しむ」と同じで、人は自分自身のやりたいこと、語りたいことを喋るだけだ。そのなかで、若干、イタリアの人は第三者の視線を意識しているとの傾向はある。

 ただ、第三者を意識するといっても、広場のカフェの椅子に座る人たちの前を歩くときに、その人たちからの視線を気にする程度の意識を指す。それは社会生活を送るうえでの最低の緊張感である。

 あえて日本の光景との比較でいえば、日本での第三者の視線とはわりと「村的な構造のなかでの他人の視線」としてのネガティブな側面が強いかもしれないが、イタリアでは「他人を愛でる」というポジティブな側面が強調されることも多々あるという違いだろうか。

 よって、振る舞いが「堂々としている」ことが大事で、それが「かっこいい」と評価されるかもしれない。

 ハリウッド映画の定番のテーマにアメリカ人がイタリアやフランスの生活に魅せられていくというのがある。舞台はイタリアならトスカーナやローマであり、フランスの場合はパリか南仏が多い。

 たいていは極めて観光的なシーンであるが、こういう映画をぼくは結構好きだ。ステレオタイプだからこそ、米国と欧州の文化差の勉強にもなる。 

 生活するうちに、アメリカ人がいい様にフランス人やイタリア人に丸め込まれている(笑)。丸め込まれたと分かっても、それが嬉しいのだろう。

 とにかく、ぼくはそういう映画で「イタリアっていいなあ」と思わずため息をつく。何度も実際にも行って経験したことのある光景であっても、だ(ミーハーなのだ)。

 それも食卓の場面がいい。料理を食べているシーンで「いいなあ」と思うのは、イタリア、フランス、中国であるが、殊にイタリア料理は賑やかで華がある。かつ、「食べる」に勢いがある。

 冒頭の「生活を楽しむ」だけでなく、次の「かっこいい」にも共に通じる要素が具体的に経験できるのが、実は、この食事の仕方と雰囲気ではないだろうか。

 スパゲッティをさっさと食べるのでも、フィオレンティーナにがっつくのでもいい。あまりスノッブに気取らないのがいいのだ、きっと。

 一見、泥臭く素直なのが新鮮に映る。

 ちなみに、画像はすべてサッカー欧州選手権2020でイタリア代表が優勝した晩のミラノの風景。なんとも素が出ているでしょう?

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
Twitter:@anzaih
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。