ローカリゼーションマップ

「これからはアート思考だ!」と熱くなっているのは日本だけ?

安西洋之

 「アート思考」との表現が出回っている。この3-4年、特に日本のなかで流行っている。この言葉の定義はほぼないと言ってよい。各々がそれぞれの解釈で使っている。言うまでもないが、アーティスト自身はこの言葉を使わず、主にビジネスに新しい発想やプロセスを求める人が好んで使う。

 新しい事業をおこすにあたっての発想やプロセスは、アーティストの作品づくりのそれらと近いものであることが多い。したがって「アート思考を学ぼう」となる。これがわりと多いパターンである。

 同時代を生きている作家たちがどのように社会の流れを解釈しているか。これは現代のビジネスパーソンにとっても実利的な参考になると思うようで、殊にコンテンポラリーアートの作家たちの思考プロセスに関心が高い。

 ぼくは数年前、この言葉を初めて聞いた。そのとき、それもそうだと思った。ぼく自身、コンテンポラリーアートの動向が時代のセンサーになっていると認識していたので、あまり違和感がなかった。

 「あれっ?」と思いはじめたのは、アート思考との言葉がさかんに闊歩してからだ。今までアートにまったくの門外漢までもが、「アート思考ってどう思います?」と口に出すようになったからだ。

 その結果、「アート思考を問う前に、アートって?」だろうが、とぼくは悪態をつく羽目になる。

 このおよそ30年間に信仰した「ロジック思考」への反省がある。この10数年の「デザイン思考」が消化不良のままである。そこで「アート思考」に救いを求める。それが経緯であり背景だろう。 

 さらに気になることがある。欧州で殆どアート思考を耳にしない。何人かの知っていそうな人に尋ねた。すると以下の答えだ。  

 「6-7年前、アートをビジネスの発想に適用しようと流行る気配があった。だけど、いつのまにか聞かなくなった」とイノベーションを専門とする経営学の教授は話す。

 「米系戦略コンサル系の特定の会社の人たちだけが、その言葉を使っているのを聞いたことがあるわ」とアートビジネスに詳しい別の教授がコメントする。彼女は「米英系資本主義におけるネタの枯渇が、そういうターミノロジーを必要とするのよね」とコメントを加える。

 チーム構築の支援コンサルタントをしている女性は、デザインやリーダーシップの教育動向をフォローしている。その彼女も「そういう言葉は聞いたことがない」と答えながら、「どこかの戦略コンサルタントが仕掛けたのね」と冷淡だ。

 即ち、日本で官民ともに「アート思考だ!」と言っている熱気とは程遠い。

 ぼくはアート思考が巷で喧伝されるようになった頃、これはデザイン思考の脇の甘さを突かれたのだと思った。

 「デザインはセンスや美とは関係なく、多くの人がロジック以外で合意形成を図れるツールなのです」と盛んにプロモートした。そのために、デザイン議論で欠落している美の部分をアート思考が攻め入った。

そう、直観が働いた。

 とはいえ、デザインはビジネスの世界のなかで育まれ、共に歩んできたとの素性が色濃い。実践者も研究者もデザインとビジネスの関係については、それなりの知識とノウハウもある。

 アートはビジネスの世界とは無縁であることに意味があった。だからこそ新しい要素としてのアートがビジネスパーソンの目に新鮮に映る(殊に、アートとは縁のなかったビジネスパーソンにとっては)。そのため、アートとビジネスの関係についての経験や蓄積があまりに少ない。 

 ゆえに、デザイナーやアーティストとはまったく関係のないところで、デザイン領域を推進したい人とアート領域を推進したい人が、不毛な議論をしがちである。どちらがビジネスに効果的なアプローチか?と争う。 

 この議論が世界の各地で頻繁に起こっているのならまだ分かる。例えば、実際、「デザインはビジネスに有効か?」との議論は散々されてきた。

 しかし、ぼくの確認した限り、アート思考を巡る議論については日本での特殊現象のようだ。日本のそれなりのレベルの人たちが、実体のないものに言葉を費やしているようにみえる。

 もちろん、日常生活で使う道具からはじまり建築物に至るまで、アートは日本のなかに生きている。だが、アート思考との表現でイメージするのは、西洋近代に生まれたファインアートだけのような気がする。

 何か大切なことを忘れていないだろうか。とても根本的なことを置き忘れて青筋をたてていないだろうか。

 言葉と経験、あるいは言葉と実体、これらの関係を見失ったまま、「日本では抽象的概念を体系的につくるのが弱い!」との後ろめたさに背を押されていないか。だから本来、曖昧であるべきものを無理にボックスに入れようとする。そう危惧する。

 問題とすべき対象はアート思考そのものではない。アート思考を巡って議論が生じる文化的な土壌である。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンジェリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。