商業捕鯨の灯、ふたたび

クジラで地方が生き返る 安い鯨肉を食卓へ (3/3ページ)

 新しい料理PR

 和歌山県は、文化庁が平成28年に太地町を含む熊野灘沿岸地域を「鯨とともに生きる」日本遺産に認定したことを受け、新たなクジラ料理の開発に挑んだ。若い女性をターゲットにした、鯨肉を用いたドリアやピザなどのメニューが生み出された。和歌山県の担当者は「鯨肉は調理次第ではクセがなくなり、さらにおいしくなる。新しい料理をPRしたい」と語る。

 1962年度に23万トンあった国内の鯨肉消費量は近年、5千トン前後まで落ち込んだ。消費者の関心を取り戻すためには、手頃な価格の鯨肉の供給が重要となる。早速、沿岸操業の小型捕鯨船は1日、ミンククジラを釧路沖で捕獲した。水産庁の諸貫(もろぬき)秀樹参事官は「クジラの味を知らない人が増えている。若い人を中心に機会を提供しないといけない。業界、自治体と一緒にプログラムを考える」と語った。

 ■日本の捕鯨の歴史

 日本では各地の沿岸で捕鯨が営まれてきた歴史があり、和歌山県太地町では17世紀に組織的な捕鯨が始まったとされる。1930年代にはクジラが集まる南極海の捕鯨に進出した。だが、60年代以降に国際的に捕獲規制の動きが強まり、82年には国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を決定。日本は商業捕鯨から撤退し、調査捕鯨を実施してきた。

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