キャリア

“ありえなかった”会長就任 稲盛和夫氏に学ぶ「火中の栗の正しい拾い方」 (2/3ページ)

 ごく常識的に考えれば、JAL会長就任はありえない選択だろう。稲盛さんは創業した京セラを世界的な企業へと育て上げ、19人の若者たちとともに起業した第二電電(DDI)をKDDIへと成長させた、日本を、いや世界を代表する経営者だ。年齢(当時77歳)からして、あえて火中の栗を拾う理由などどこにもない。しかも同年同月に会社更生法の適用を申請したJALの負債総額は事業会社としては戦後最大規模の2兆3000億円超、官僚的な体質や複数ある組合が再建の障壁になる事態も予想された。

 にもかかわらず稲盛さんが会長就任を受諾したのは、JALという日本のナショナルフラッグ・キャリアの再建が顧客や従業員、ひいては社会全体にプラスになると考えたからだった。1984年にDDIを設立した動機も、電電公社(現NTT)の対抗軸をつくり通信料金を安くしたいからで、その動機が純粋なものかどうか、稲盛さんは数カ月間「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問い続けたのだった。

 一篇の短歌をホワイトボードにしたためた

 10年1月13日の午前中に話を戻そう。「引き受けようと思う」。稲盛さんのその言葉を聞いて同席していたDDIの元社長が立ち上がり「新たな挑戦に捧げます」と一篇の短歌をホワイトボードにしたためた。

 「年長けて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」

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