--何年もノーベル賞候補といわれていたが、どんな気持ちで待っていたのか
「最初にある大学の先生が、ちょうどハワイに私が出張していて空港で一緒になって、『お前をノミネート(推薦)しておいたよ』と言われた。たぶんそれが初めだと思う」
--いつごろか
「2000年。19年前」
--海外の方か
「日本の方。そこから今回につながるようなことが流れ出したんだと思う」
--どなたですか
「うーん、50年だよね、守秘義務は。まだ19年しかたっていない(笑)」
--19年間、毎年待っていたのか
「最初は個人的にそういうことを教えてもらって、まだ出てこない話だった」
--聞いたときは
「えっと思った」
--自分はノーベル賞を取ってもおかしくないと
「いやいや、そうではなくて、まな板に載ったんだなと。だから、今日みたいにいろんなメディアの方が来られてというのは、この10年くらい。最初は外れたときの嫌さというのがあったから、『もうええ加減にしてくれ』というのはあったが、そのうちにセレモニー的に毎年やると、周りの皆さん方が逆に喜んでくれて」
--みんなで盛り上げた
「旭化成の社員の方が準備してくれて。だから、『ずっとこのまま取らずに毎年続いたらいいね』なんて(笑)」
--それはそれで楽しいと
「そうそう。残念会もいっぱいやってくれるし(笑)」
--今後の生活は変わると思うか
「基本的には変わらないと思う。明日からの予定をこれから決めていかないといけないが、当然、来週以降、いろんな予定を入れてしまっているから。講演とかは、できるだけお約束した分については、きっちりやっていきたいなと思う」
--これからはノーベル賞受賞者としての肩書が一生ついてまわる
「これはもう今まで通りに。ただ、私の言葉の重みというのはたぶん変わると思うので、そういった意味では、たとえ間違っていてもいいから日本はこうあるべきだとか、日本の技術はこうやらないといかんとか、やはりそういう発信をしていきたい。それでいろんな人がいろんな議論をしてもらって、何かより日本の産業が活性化するような、そういう道筋が出てくるといいと思う」
--日本の将来について発信していきたいと
「うん」