社会・その他

“伝説の井戸”復活で賑わい取り戻せ 「富くじ」で資金集め 大阪・高津宮

 平安時代に創建され、落語や歌舞伎の舞台としても知られる神社「高津宮(こうづぐう)」(大阪市中央区)で、“名水の井戸”復活プロジェクトが進んでいる。江戸時代には井戸を中心に人が集まり、料理店や浄瑠璃小屋が立ち並んでいたといい、往時のにぎわいを取り戻そうと、氏子や大阪の会社経営者らが協力。23日に境内で開く「あきんど祭り」では「富くじ」を売り出して資金集めを行う。(北村博子)

 「しんどいけど、あと10回連続でいきましょう。1、2、3!」

 今月上旬、かけ声に合わせて氏子の大人と子供15人ほどが協力してロープを引っ張ると、滑車とロープ、パイプを組み合わせた手作りの掘削装置が上下した。テンポ良く土をかき出す様子は、まるで餅つきのようだ。

 高津宮には、かつて生駒山からの伏流水で名水がわき出る「梅之井」と呼ばれた井戸があったと伝わる。江戸時代中期に発行された「摂津名所図会」には、本殿近くに井戸が描かれている。参道には浄瑠璃小屋や漢方の店、料理店が立ち並び、井戸の近くには湯豆腐店も。小谷真功(まさよし)宮司は「名水を使った豆腐を出していたのかもしれません」。

 小谷宮司は以前から「神社の水が枯れるのは衰退を意味するし、何より寂しい」と話していた。京セラ創業者、稲盛和夫氏の経営塾の一つ「盛和塾大阪」(事務局・大阪市北区)で社会貢献の重要性などを学んだ経営者たちが小谷宮司の話を聞き、7月から井戸の掘削を開始した。

 周辺にマンションを建てる際のボーリング調査から、地下約14メートルで水脈にあたると予測。井戸の遺構が出土している本殿正面の植栽付近から掘り始め、これまでに地下約9メートルまで掘り進んだ。

 井戸掘りには盛和塾大阪のメンバーや氏子だけでなく、結婚式の下見などでたまたま境内を訪れた人など200人以上がボランティアで参加してきた。盛和塾大阪の斉藤竜久さんは「井戸ができる前から地域のふれあいの場になっている」と手応えを感じている。

 盛和塾大阪のメンバーらは2年前から毎年秋に高津宮で「あきんど祭り」を開き、子供たちを対象にした仕事体験などを実施。23日に開く今年の祭りでは、奉納した酒や米、自社製品などを景品にした「富くじ」を1枚300円で売り出し、売上金を掘削装置などの資金に充てる予定だ。

 小谷宮司は「井戸水がわき出れば、災害時など必ずお役に立てる。神社は社会の共有財産。井戸を復活させて、井戸端が子供たちや地域のみなさんの憩いの場になればうれしい」と話している。

     

 高津宮 仁徳天皇を主祭神とし、清和天皇の勅命で平安時代の貞観8(866)年、現在の大阪城付近に創建。安土桃山時代の天正11(1583)年、大坂城築城に合わせて現在の場所に移されたとされる。落語「崇徳院」や「高津の富」にも登場する。江戸時代には大坂の町が一望できる観光拠点としてにぎわい、江戸後期の滑稽本「東海道中膝栗毛」でも紹介されている。

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