キャリア

生き延びた100点の軍師と非業の死を遂げた200点の英雄、その違い (2/3ページ)

 嫉妬をぶっちぎってのし上がっていく人

 いつの時代も才能ある人は意外にいるものですが、大方は嫉妬に阻まれ、ほとんどが埋もれて消えていきます。ところが、それをぶっちぎってのし上がっていく人がたまにいます。

 ナポレオンがそう。イタリア半島の西に位置するコルシカ島(現フランス領)生まれで、父親が「こんな片田舎では出世できない」からと留学させたフランスの軍人学校で、いきなり才能を発揮しますが、よそ者であることと相まって徹底的にいじめられます。

 そのうえ、当時のフランスの軍隊の上層部は皆フランス人貴族。それが上の階級に上がる条件でしたから、才能があろうがなかろうが、出世は諦めるしかありません。

 鬱々として自殺も考えていたところに、勃発したのがフランス革命でした。

 貴族が一挙に亡命し、国内にまともな将軍がいなくなってしまいます。これが千載一遇のチャンスとなりました。南フランスの港湾都市トゥーロンで起こった反乱が数カ月たっても収まらなかったのですが、困った国民公会に白羽の矢を立てられたナポレオンはあっという間に制圧してしまうのです。

 ところが、これが裏目に出て、上司筋から嫉妬を買う羽目に。再び不遇をかこつ身となってしまいます。

 嫉妬をぶっちぎったかに見えたが……

 そして今度はパリで反乱が勃発。たかが2万前後の反乱軍なのですが、無能な総裁政府は鎮圧できない。ところが、総司令官ポール・バラスに拝み倒されたナポレオンが指揮を執るや、たった2時間でこれを鎮圧。26歳で一躍パリ市民の人気を得ます。

 ところが、自分の無能ぶりを暴露された恰好のバラスが彼に与えたのは、褒美ではなく嫌がらせでした。「こいつを何とか自分の目の届くところに囲っておこう」と考え、愛人の1人で、トウが立って処遇に困っていたジョゼフィーヌと結婚させ、しかも結婚2日目のナポレオンにイタリア行きの辞令を出し、当時イタリアを支配していたオーストリア帝国軍と戦わせます。バラスが与えたのは老兵部隊。士気が低く軍服も軍靴もボロボロ、馬も駄馬ばかり。バラスの嫌がらせです。

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