それは違うよなぁ……と思う。気持ちが悪いとさえ思う。社員を束ねるマネジメントとして、そのスローガンが機能しているならば、別にいいだろう。しかし僕の実感には、まったく添わない。
社員を一枚岩にして、会社に求心力を持たせ、擬似(ぎじ)家族風の組織を構築する--僕から言わせれば、最悪な経営術だ。IoT、グローバリズム、終身雇用崩壊など、多くの社会変革のなかで、最も耐用できない、弱い組織づくりの方法ではないか。もっとフレキシブルに、各々の意志を明確にした、いい意味での社員の「切り捨て」がさかんに行われるべきだ。
ついてきたければ勝手についておいで
僕は経営者時代、社員に対して、会社に忠誠心や結束力を求めることはなかった。また、同僚と友人になる必要はないとも思っていた。大事なのは、会社が働き手それぞれにとって、好きな仕事ができる場として機能しているかどうか。不満がないなら仕事を続けるし、そうでなくなったら辞める。シンプルでいいのだ。
僕にはビジネスにおいて、共通の目的意識を持った同志のような存在は、いなかった。やりたいことを進めていくのに、利害関係と気持ちの方向性が合致していれば、とりあえず一緒にビジネスする関係は築ける。同志のような存在は、これからもいないだろう。つくろうとも思っていない。
手がけている事業や今後やりたいことについて、人に話すことはあっても、“組織として”共有しようという発想がないからだ。オン・ザ・エッヂの仕事でも、社員たちと意識共有しようという努力は、一切しなかった。「ついてきたければ勝手についておいで」というスタンスだった。
冷たいとか、ドライだと言われるかもしれない。でも、本当にやりたいことでもないのに、意識の共有に縛られて、人生の時間を拘束してしまうことの方が、僕には冷たいことのように思う。温情をかけているわけでもないが、「お前はいらない」というときは、きっちりと態度表明する。そして、去ってもらうのも仕方ない。
人の性格や能力に合わせて、自分のやりたいことやプランを説明するのが、すごく嫌なのだ。昔風の表現をするなら、口でいちいち言わないでもわかる勘のいい人とだけ、一緒に働いていたい。
「ついて来ていいけど、邪魔になって協力してくれないなら、どっかへ行って」というのが本音なのだ。そんな考え方の社長は、間違っているだろうか? ついていく社員の方としては、面白いときは一緒にいて、離れるときは簡単に離れやすい、ある意味で親切な経営者だと思うのだが……変だろうか? 世の経営者の大部分が、僕のスタイルを踏襲して会社経営するようになれば、サラリーマン社会も楽な方に変わるのに、と真剣に考えている。
合わなくなったら、切り捨てる
僕はビジネスにおいて、社員や同僚にヒントも出さないし、思惑や意図を読み取ってくれとも言わない。改善点を指摘して直るようだったら、しっかり言うが、直りそうもなければ適時、切り捨てる。
これまでの部下のなかで、「こいつはすごい」と感嘆するほど、僕の思いを完璧に読み取り、意識共有を果たせたという人物はいなかった。みんなちょっとずつズレていて、その都度、切り捨てさせてもらった。
というと、誤解を招くと思うのだが、僕は会社経営時代を含め、人をクビにしたことはほとんどない。「切り捨てる」というのは、同じラインで仕事をしなくなったり、呼ばなくなるだけだ。辞めていったり、僕から離れるのは、向こうの意志にすべて委ねてきた。人を切り捨てるというより、体よく僕の方が切り捨てられるように、社員の側に任せていたと言っても、いいかもしれない。僕の意識をみんなで持ち合わせて、共に頑張ろう!
そんなやり方はまったくしないで、オン・ザ・エッヂを経営していた。まったく問題はなかった。実際に、出て行った社員を上まわる新人が次々に入ってきた。会社も急成長していった。
合わなくなったら、切り捨てる。
そのやり方で会社が危機に陥っていたら、少しはあらためていたのかもしれない。でも順風満帆にうまくいっていたので、直す必要はなかった。(ITmedia)