社会・その他

「上から目線」じゃ効果なし パワハラ常習犯にお釈迦様が伝えた意外な言葉 (2/3ページ)

 己の愚かさを気づかせ、改心させることは至難の業

 また、お釈迦さまは、パワハラの気のある弟子をこのように諫(いさ)めたことがあった。

 お釈迦さまの弟子にアトゥラ信者という、相手を思いやれない者がいた。彼はある時、教えを授かりに、「禅定第一」と呼ばれたレーヴァタ(離婆多)長老のところに向かった。しかし、長老は静かに瞑想をするだけで、何も語ろうとしなかった。ムカッとした信者はこの長老を罵(ののし)り、去っていった。

 次に信者が向かったのは、サーリプッタ(舎利弗)長老のところだった。この長老は「智慧第一」と呼ばれ、お釈迦さまから最も信頼されていた人物だ。長老は信者に理解できないような難解な説法を始めた。すると、また彼は怒って去っていった。

 次に信者が向かったのがアーナンダ長老のところ。長老は「多聞第一」と呼ばれ、お釈迦さまのとくに近くで仕えた人物で知られている。この長老は子供に理解させるように、やさしく説法をした。しかし、信者は「物足りない」と腹を立ててしまった。

 そして、最後に向かったのがお釈迦さまのところだった。お釈迦さまは、諭したものの、最後は「愚かな者たちの非難や賞賛には際限がない」と嘆かれたという。

 お釈迦さまの時代も、今も、組織の中での人間関係は似たようなものだったようだ。常に自分を正当化し、相手の非をなじるような者に、己の愚かさを気づかせ、改心させることは至難の業なのだ。

 パワハラやセクハラは自分に自信の持てない者の「嫉妬」に由来

 「伝説の経営者」とも呼ばれた米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社を率いたジャック・ウェルチ氏は、「自信のある人間は異論を歓迎し、素直に耳を傾ける勇気を持つ」との名言を残している。裏を返せば、自分の思い通りにいかない相手を攻撃するような者は、「自分に自信のない臆病者」ということかもしれない。

 したがってパワハラやセクハラの原因が、自分に自信の持てない者の「嫉妬」に由来することはよくあることだ。お釈迦さまはこのように言っている。

 「勝利者が勝ち取るものは敵意である。

 敗れた人は苦しんで萎縮する。

 心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす」(『法句経』第15章 楽しみの章 5)

 --アルポムッレ・スマナサーラ著『原約「法句経」一日一話』

 パワハラ・セクハラをしない、されないための方法

 では、パワハラ・セクハラをしない、されないためにはどうすればよいのか。

 ひょっとしてあなた自身、「パワハラをしてしまう気質がある」と、自覚しているケースがあるかもしれない。そんな人は、第一に実践していただきたいのが「言葉遣い」だ。仏教用語で言い換えれば、「正しい言葉(正語=しょうご)を使う」ということ。

 私たち人間にとって、言葉はコミュニケーションをとるために不可欠な要素だ。言葉は情報伝達、意思疎通などの大切な役割を果たしますが、時には使い方ひとつで相互の関係性が、崩壊してしまう。

 たとえば、新橋の居酒屋などに行けば、こういうシーンをよく見かける。上司が部下を前にして、

 「おまえのこういうところがいけない」

 「俺は若い頃、休みも取らずに黙々と仕事をしたもんだ」

 などと、くどくどと説教を垂れるシーンをよく見かけるが、これはいけない。仮に仕事上の指導をする局面があったとしても、社内の会議室で冷静に、端的に行えばよい話だ。

 もっと言えば、部下や後輩にたいして、上から目線の偉そうな言葉遣いはいけない。そういう人に限って、上役にはペコペコしているのがオチ。相手によって言葉や態度を使い分ける上司に、部下らは「ああ、この人は出世と保身のことしか考えていないんだな」などと、冷めた視線を送っていることだろう。

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