社会・その他

平城京の“中枢”へ 未解明な「一等地」の発掘調査にかかる期待 (2/2ページ)

 「威容」再現に期待

 国際交流が盛んだった奈良時代、外国からの使節団は羅城門から平城京に入り、道幅が74メートルある朱雀大路を北上して朱雀門から平城宮に入ったとされる。

 工場跡地は朱雀大路の一部を含んでおり、舘野さんは「朱雀大路の両脇には柳の並木や幅3メートルの側溝があり、大きな築地塀が続いていたと想定される。当時の整った威容が見えてくるかもしれない」と期待する。

 今年は平城京遷都や造営を主導したとされる藤原不比等の没後1300年にもあたる。荒井知事は「平城京の設計に寄り添って未来の奈良の礎を築くことを、不比等さんに駆り立てられている気がする」と話す。発掘調査と連動しながら歴史公園がどのように整備されるか注目される。

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