100年前に延べ11万人の青年団員が勤労奉仕して造営された明治神宮(東京都渋谷区)が1日、大きな節目を迎えた。父親が奉仕に参加した静岡県御殿場市の小宮山哲男さん(86)は、新型コロナウイルスへの懸念のために鎮座百年祭への参列はかなわなかったが、「当時の人たちが本当に誇りを持った奉仕活動だった。コロナが落ち着いたら、また明治神宮に行きたい」と語った。
「重要文化財に指定される明治神宮の建物の中に、神橋(しんきょう)があったでしょう。あれは御殿場から行った人たちが工事したんです」
10月下旬、小宮山さんは御殿場市の自宅で、同月16日に文化審議会が答申したリストに神橋があったことを笑顔で教えてくれた。父親の英作さん(平成8年に95歳で死去)は、御殿場市が含まれる静岡県駿東(すんとう)郡青年団から奉仕に参加。大正8年12月から翌1月にかけて、2団に分かれて143人が上京し、英作さんは18歳でその一員となった。
同青年団の「奉仕日記」が、勤労奉仕の実態を伝える貴重な記録として残っている。参加できることを「終生ノ栄誉トモナリ子々孫々ニ至ル迄モ紀念トナスベキ慶事」と喜び、駅では地元の人々に見送られて出発した。奉仕中は午前5時半に起床し、同7時半から午後4時ごろまで、土木から植樹までさまざまな作業に従事。夕食後は「青年団の父」と呼ばれた田沢義鋪(よしはる)らの講話を聴き、取材が入ることもあった。就寝は午後9時ごろ。日程は10日から約2週間程度だ。
「おやじが80歳の頃に奉仕の様子を聞くと、『飯をたんと食べ、早起きして作業した』と。高齢であまり覚えていないようで…」と小宮山さんは苦笑いする。
参加者と子孫らでつくる「御殿場菊香会」が発足したのは昭和44年で、英作さんは3代目会長、小宮山さんも5代目の現会長を務める。しかし子供の代は今は小宮山さん一人になった。
昨年までは菊香会として11月の秋の例大祭に参列した。そのたびに、「この木も、あの木も、献木が本当に雄大な森になった。参道を歩くと、ここでおやじらがトロッコに乗って、汗をかいていたんだなあと思いました」という。
コロナで参列できないことを「残念」とこぼしつつ「本当に誇りを持った奉仕活動だった。おやじたちの意志を子孫に伝えるのが私の責任です。果たしたいと思っています」と語った。