ミラノの創作系男子たち

アート、デザイン…自らの世界を果敢に構築 トルコからイタリアへ来たイマン~女子編 (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 チダン・イマンはトルコのアンカラに生まれ育った。小さな時から数字が得意な早熟な女の子だった。両親とも銀行の幹部で数学や科学が尊重される家庭環境にあったからだろう。また教育に熱心だった。チダンが工科大学で化学を勉強し終えた時、父親には「22歳で社会に出るのは早いから、もう少しまだ大学で勉強したらどうだ」と助言される。

 「トルコの閉鎖的な社会にあって、うちは開放的だったと思うわ」とチダンは語る。そして文学やアートに興味のある彼女は、化学の修士に進むのではなく、別の大学に進学する。

 当時、1990年代後半、日本とトルコのビジネスが活発だったこともあり、就職にも有利な日本語を勉強したいと思ったが、学科に入る競争率が高く、チダンはイタリアの言語と文学を学ぶ学科に入ることにした。ここでイタリア語を身に着けたのが、その後の人生の方向を決めた。

 彼女は学生の時、トルコに出店するイタリアのファッション企業のために通訳の仕事をした。それがまわりまわっての縁を通じ、ヴェネツィアに近いヴェネト州にあるデザイン関係の会社で働くことになった。輸出担当マネージャーという立場だ。今年でイタリア生活は20年になる。

 新しいコミュニティに入るにあたり、見えない壁をどのあたりに感じたのだろう?同じく外国人としてイタリアに住む人間として気になる。

 「イタリアに来た当初は、文化の違いで苦労したわ。地中海世界にあって両国の人とも熱い血が流れているけど、ヴェネト州はイタリアの北の文化ですものね。イタリアの文化はオープンな感じがあるでしょう? でも、ある段階で急にクローズする瞬間があり、その敷居のありかに戸惑ったわ。特に実家がオープンだったから、なおさらそうだった」

 ただ、チダンは好奇心も強いタイプなので、イタリアの文化に適応するのにそう年数はかからなかったようだ。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus