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「三日三月三年」という言葉に思う イタリア滞在“30年”で見えてきたこと (1/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 「三日三月三年」という表現がある。ネットでみると「3年も我慢すれば壁をのり超えられる」という解説を散見する。ぼくは3という数の単位ごとに「あることを悟る」と理解している。

 最近、この「三日三月三年」を思い起す。1990年にイタリアのトリノで生活をはじめた時、日本人の実業家であるボスに次のように言われたのだ。 彼は1960年、ローマオリンピックの時にイタリアに来たのだった。

 「三日三月三年というが、ぼくは、それに三十年を加えたいと思う。今年でイタリアに住み始めて三十年になる。この頃、イタリアのことを今までとは違ってより深く理解できるようになった気がする」

 確かに3日目で宿泊しているホテルの周辺を歩くのに自信が出てきた。3か月もすると、自分なりの生活圏に愛着をもてるようになった。3年を経て、イタリアの生活の何が分かり、何が分からないか、およその見当がつきはじめた。

 3年経ても分からない例といえば、昨年の冬の雪は多かったのか、今年の秋は寒いのか、ということだ。7-8年の雪の多少や温度の高低を経験しないと確信をもっていえないと感じた。

 したがって7-8年の滞在経験があれば、それ以上の年数、10年であろうと20年であろうと、確信をもって語るにあまり影響はないだろうと思ってきた。

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