これらの概念は人が生きるうえで根幹に関わる。
「経済的に豊かになるなら、人権や自由は若干制限があっても致し方ない」と明言するか、「経済的な指標よりも、人権や自由は十全に保障される社会に住みたい」と考えるか。
人によっては、「人権や自由は西洋的概念であるから、文化の違う他の地域でそれらが制限されるのは致し方ない」と話す。アジアの近隣の国や中東も想定しているようだ。どうもアフリカには少々違った前提を用いている印象がある。
その一方、「我々日本では、自由に生きたい」と述べる。しかも、自分たちは客観的にみて民主的な社会に生きていると認識している。だが、先に書いたように、「自分1人で考えていいのですね!」と喜ぶ環境下においての認識だ。それを見逃してはいけない。
言うまでもなく、ヨーロッパでは人権や自由への希求がもっと強い。ことにハンガリーやポーランドなど東ヨーロッパ諸国で強権的な政府が誕生している。かつEU外のベラルーシなど東側の国とも、人権や自由で衝突がある。それが今のシーンだ。
ぼく自身、東ヨーロッパの人たちから直接、旧ソ連時代にあった自由のない世界を心の底から憎み恐れていたのを聞いている。よって「経済的にマシなら若干の自由の制限は受け入れる」との日本の近隣の国で言われている内容に、日本の人が軽く首肯している姿が率直に信じがたい。
およそ「出羽守」と言われようが今となってはあまり気にしない。だが、殊に人権や自由については強調しておきたい。「出羽守」と一蹴して溜飲をさげている人々に襲いかかる、次にやってくる日本の社会のありようが哀しすぎる。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。