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空海の教え正成が継承 河内長野で日本遺産シンポ

 大阪府河内長野市が「中世に出逢えるまち」として日本遺産に認定されたことを記念するシンポジウムが、同市で開かれた。遺産の重要な要素である「観心寺」(真言宗)の永島龍弘長老が、「空海から正成へ」と題して講演。真言宗の宗祖、空海の国家に対する考えが、少年期に同寺院の支院で学んだ楠木正成に受け継がれたとの考えを述べた。(藤崎真生)

 観心寺は修験道の開祖とされる役小角が大宝元(701)年に雲心寺の名称で開いたと伝わる。空海は、大同3(808)年と弘仁6(815)年に訪れ、再訪時に如意輪観音菩薩を刻んで本尊として、観心寺に改めたとされる。

 市日本遺産推進協議会の会長を務める永島長老は、空海の教えでは四恩(父母の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝=仏法僧=の恩)が重要と説明。「私心なく国のために身命を賭しただけでなく、(遺志を)長男の正行に託した。そうした『公』に生きた点を見直すべきだ」と述べ、室町幕府を興した足利尊氏との戦いで敗死するまで一貫して後醍醐天皇の側に立った正成の精神は、真言の教えを学んだことで育ったとの分析を示した。

 シンポでは、同寺院の永島全教住職と、「女人高野」と呼ばれ同じく日本遺産を構成する金剛寺の堀智真座主も登壇して講話。島田智明市長は「市の宝である歴史文化遺産(の魅力)を発信しながら地域活性化へ、という流れを作っていきたい」と述べた。

 市は、「女人高野」を主題にした新たな日本遺産の認定を目指し、空海が開いた高野山金剛峯寺がある和歌山県高野町、空海の母親が女人禁制の高野山に少しでも近づこうと晩年を過ごした慈尊院がある同県九度山町、女人高野としての知名度が高い室生寺がある奈良県宇陀市と連携して活動している。

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