インドネシア・スマトラ島中部の小さな地方都市、サワルントにある「オンビリン炭鉱遺跡」が2019年7月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。オランダによる植民地統治時代の19世紀後半から20世紀初頭に開発された炭鉱で、市は地域活性化に期待を寄せる。だが、炭鉱には植民地支配下での強制労働という苦い歴史も刻まれている。
◆道路やホテル整備
西スマトラ州の州都パダンから車で3時間の盆地に位置する、人口約6万5000人のサワルント。ユネスコによると、炭鉱は産業革命後の欧州から導入された当時の最新技術で、石炭の採掘、加工、輸送や出荷まで統一されたシステムで構築されたことが評価された。
「世界遺産に選ばれたことは誇りに思う。住民の生活向上や仕事の創出につながれば」と話すのは、炭鉱の維持管理を担当するスダルソノさん。登録後、訪問者は15%ほど増えたという。08年に観光用に一部公開された坑道は、入り口付近の地下約30メートルまで見学できる。足元が滑りやすい坑内に入ると、湿った空気が漂い、壁は黒光りしていた。
市中心部には、現在は使われていない石炭運搬のための機関車や駅、炭鉱労働者用の大型食堂跡などが博物館として整備されている。市はオランダ統治時代の古い建物を所有する住民に修繕費用などの補助金を支払い、景観維持に努めている。
長年、炭鉱都市として栄えたサワルントだが、石炭産出量の激減とともに衰退。住民のアルフィゾンさんは「死んだ町がこれで再生する」と喜び、デリ・アスタ市長は「道路整備やホテル建設を進めていく」と意気込む。
◆囚人労働者の苦難
だが炭鉱には、長年オランダからの植民地支配を受けた苦難の歩みもある。
市によると、1938年ごろまで炭鉱労働者の一部には、ジャワ島やスマトラ島、スラウェシ島などから連れて来られ、強制労働させられた囚人らが含まれていた。囚人は名前ではなく、腕に刻印された数字で呼ばれ、脱走を図る者や事故で死ぬ者も多かった。市内には、囚人番号だけが記された朽ちた墓が残り、少なくとも3000人分が見つかっているという。
当時の囚人労働者の孫、スカディさんは「強制労働に従事させられたことに対して、オランダとインドネシア政府から顧みられていない。何の補償金も得られておらず、子孫は貧困に苦しんでいる」と訴えた。(サワルント 共同)