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音のない世界から「ありのまま」を撮る 「宝箱-齋藤陽道 写真展」 椹木野衣

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音のない世界から「ありのまま」を撮る 「宝箱-齋藤陽道 写真展」 椹木野衣

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「宝箱ー齋藤陽道_写真展」の会場。作品の一枚、一枚が、齋藤の気持ちをみるものに伝えようと迫る=東京都渋谷区のワタリウム美術館(齋藤陽道さん撮影、提供写真)  写真を志す以前、齋藤陽道がプロレスの門をくぐっていたと知って、ネットで探して見てみた。リングネームは「陽ノ道」だった。私が見たこの試合で、陽ノ道はゴングが鳴るなり体勢を崩され、絞め技に落とされて床をタップ、みるまに降参した。絵に描いたような「瞬殺」だった。

 試合終了後、勝者のメッセージが手書きのマジックボードで陽ノ道に伝えられるのが映し出された。試合後の熱狂に似合わぬ奇妙な静寂感。そう、陽ノ道は耳が聞こえない。これは障害者プロレス「ドッグレッグス」での一幕なのである。そこには、なにかさわやかな残酷とでも呼びたい感触が残った。

 その後、陽ノ道は齋藤陽道に戻り、2009年には公募の写真展、キヤノン写真新世紀でみごと佳作に入選。あくる年には優秀賞に選ばれ、その名を世に広めた。

 健常者との間の「幕」

 ちょうどその年から、僕はこの写真賞の審査員を務めていたので、齋藤自身と作品には会場で初めて出会った。審査は、グランプリ候補に選ばれた優秀賞4人が東京都写真美術館のホール壇上に立ち、自分の写真についてひとりひとりプレゼンテーションを行う。その様子も含めて評価の対象となるのだが、齋藤には他の候補者のような「声」がなかった。みずからの手話と代読者を立て、その場に臨んだからである。その後の受賞者歓迎会でも、彼が筆談で審査員や他の受賞者と旺盛に「話し」ていたのをよく覚えている。

 今回、齋藤によるこれだけの数の写真を初めて見て真っ先に感じたのは、「できるだけ多くの人と話したい」「もっともっと多くのイメージを世に送り出したい」という、焦りにも似た気持ちの高ぶりだ。彼の写真は、どれをとっても、薄くまばゆい光のベールが掛かったような透明感に覆われている。なおかつ、どの写真も、ほとんど貪欲と言ってよい世界との接触欲で溢れ却(かえ)っている。耳の聞こえない齋藤と健常者の世界とのあいだには、薄いベールで隔てられた幕があるのを、誰よりも齋藤自身が知っているからだろう。

 写真家になる前にプロレスに向かったのは、肌と肌が直接、ぶつかりあう世界に、齋藤がなんらかの直接性を見たからではないだろうか。けれども、写真ではそういうわけにはいかない。撮影者と被写体とのあいだには必ずカメラが挟まるからだ。どんなに相手に肉薄しても、プロレスのような直接性には辿り着かない。

 音楽を主題に連作

 齋藤がカメラを構えてありのままの世界の姿に迫るのは、耳の聞こえない彼が、間接的に健常者の世界と交わろうとするのと、とてもよく似ている。もっとも端的に表されているのは、音のない世界に生きる齋藤が、あえて音楽を主題に撮った連作だろう。

 ミュージシャンや子供たち、楽器や祭りの様子を、その場で響いているであろう音を知ることなく撮るのだ。齋藤のことばを借りれば「永遠の片思い」ということになる。ことほどさように、彼は自分が世界と隔てられていることを、強く意識しながら写真を撮っている。カメラを構えれば健常者も障害者もない、とは考えていないはずだ。むしろ、両者の間に横たわる、永遠に直接には交わらない隔たりこそを、齋藤は精妙に写し撮ろうとする。

 埋まらない距離感

 どの写真にも感じられる、見る者を優しく包み込むような多幸感にもかかわらず、齋藤の写真が、どこか寂しげに見えるのは、そのためだろう。けれども、永遠に埋まらないこの距離感は、実はどんな写真家にも共通の問題のはずだ。齋藤は、写真家に特有なこの宿命について、みずからの障害ゆえ、誰よりも明瞭な意識を持っている。

 そう考えたとき、齋藤が障害者プロレスを経て写真の世界に入ってきたのもよくわかる。彼にとって身体は、世界と接触するために、もっとも頼りになる原点のはずだから。でも、身体の確かさに頼り切るのではない。むしろどんな表現者も、このとてつもなく大きな世界を前にしては、瞬時に組み伏せられ降参するしかない。齋藤の写真はそのことを知り抜いている者だけが知る切なさと秘密を込めて写されている。(多摩美術大学教授 椹木野衣/SANKEI EXPRESS

 ■さわらぎ・のい 1962年、埼玉県秩父市生まれ。同志社大学を経て美術批評家。著書に「シミュレーショニズム」(ちくま学芸文庫)、「日本・現代・美術」(新潮社)、「反アート入門」(幻冬舎)ほか多数。現在、多摩美術大学教授。

 ■さいとう・はるみち 1983年9月3日 東京都生まれ。都立石神井ろう学校卒。2007年「陽ノ道」として障害者プロレス団体「ドッグレッグス」所属。09年「タイヤ」が写真新世紀「佳作賞」。10年「同類」が写真新世紀「優秀賞」に。写真集に「感動」(赤々舎)。

 【ガイド】

 「宝箱-齋藤陽道 写真展」は2014年3月16日まで、ワタリウム美術館(東京都渋谷区神宮前3の7の6)で。大人1000円、学生(25歳以下)800円、小・中学生500円、70歳以上700円。月曜休(2013年12月23、30日、2014年1月13日開館)。2013年12月31日~1月3日休。問い合わせは(電)03・3402・3001。

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