夢の「ナノ医療技術」実用化へ がん治療に希望の光「日帰り治療も可能に」
■【世界へ 日本テクノロジー】成長へ新たな挑戦(上)
腐ったパンを食べた男の子と初老の男。なぜか身長がナノ(1ナノ=10億分の1)メートル級に小さくなり、結核を患う少年の体内に入る。そこで2人は結核菌と戦う-。1989年に亡くなった漫画家、手塚治虫の代表作「38度線上の怪物」に描かれた世界だ。その漫画の世界が実際の医療現場でいま現実のものになろうとしている。
「キングスカイフロント」と名付けられた川崎市臨海部の再開発地区にあるナノ医療イノベーションセンター(iCONM)。センターの研究リーダーを務める片岡一則東京大学大学院工学系研究科教授の研究チームが昨年6月、直径数十ナノメートルの高分子カプセル「ナノマシン」に抗がん剤を入れて、体内のがん細胞に直接届ける画期的な技術「ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)」を開発した。インフルエンザウイルスとほぼ同じ大きさのナノマシンはまさに、“手塚ワールド”でパンを食べて小さくなった2人の役割を果たす。
がん治療に希望の光
従来の抗がん剤は正常な細胞も傷つけるため副作用が多いが、患部に直接薬を届けるこの方法だと副作用を軽減できるという。片岡教授は「実用化すれば、日帰りのがん治療も可能になる」と話す。
がん患者やその家族にとって待望の治療法となる「ナノマシン」を利用した抗がん剤治療は、数年後の実用化を目標に臨床開発が進んでいる。
片岡教授の研究成果の事業化に挑むバイオベンチャーのナノキャリア(千葉県柏市)は、iCONM内に研究所を構えた。ナノキャリアの共同研究先の一つ、国立がん研究センター東病院(同市)の松村保広新薬開発分野長は、血管から離れて存在する難治性がん細胞の表面にある抗原を攻撃する「抗TF抗体」について長年研究を続けている。ナノキャリアはこの抗TF抗体を、がん細胞を見つけるセンサー役として表面に付け、内部に搭載した抗がん剤を、患部だけに放出して攻撃する新しいタイプのナノマシンの開発を進めている。新タイプは、治療が難しい脳腫瘍へも応用できる可能性があり、中冨一郎社長は「あと2年くらいかけて研究を進め、2018年には前臨床試験に進めたい」と意欲を示す。
戦略的な誘致展開
川崎市は、京浜工業地帯の中核として、機械・化学といった重厚長大産業が高度成長を牽引(けんいん)した臨海部を、再生医療などライフサイエンス(生命科学)分野の一大拠点として生まれ変わらせようと、企業や研究機関を戦略的に誘致。iCONMはその拠点化に向けた中心的な機関の一つだ。14年11月に再生医療新法が施行され、政府がライフサイエンス分野の競争力強化を推進する中、川崎市の取り組みには新たな成長産業育成のモデルケースとして注目が集まる。
◇
■理想的な立地で多様な業種と連携
川崎市臨海部の「キングスカイフロント」にはヘルスケア世界大手の米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)も進出、医療従事者向けの医療機器訓練施設「東京サイエンスセンター」を2014年8月に開設した。施設には外科手術のシミュレーション装置など、高度な医療機器が数多く置かれている。事前に機器の操作に慣れることで、円滑な手術ができるようにする目的だ。医療機器の進化はめざましく、日本法人の日色保社長は「1人の医師だけで高度な医療機器を用いた手術に対応するのは難しい」と指摘する。
診察が休みになる週末は全国各地から訓練を希望する医師らが集中するため、「半年先まで予約でほぼ埋まっている」(後藤肇克センター長)という。開所からの利用者は昨年10月に3万人を超えた。
イノベーション期待
一方、これから進出するのが東大発バイオベンチャーのペプチドリーム(東京都目黒区)。キングスカイフロント内に約4700平方メートルの土地を確保し、3月に研究施設を着工。17年6月の完成、同8月の稼働を予定している。施設は延べ床面積約7900平方メートルの5階建てで、完成後に本社もここに移す。土地取得費も含めた投資額は約54億円だ。
ペプチドリームは、東大大学院理学系研究科の菅裕明教授が開発した人工アミノ酸の組み合わせ技術「フレキシザイム」をベースにした創薬開発の基盤技術を持つ。これを基に人工アミノ酸を使って生成したタンパク質「特殊ペプチド」を製薬会社に提供する。
ライフサイエンス分野の研究施設は消防法上の危険物を扱うため、立地場所に制約がある。東大との関わり合いなどを考えると東京から極端に離れた場所というわけにもいかず、「その点で川崎は最も理想の場所」と、ペプチドリームの窪田規一社長は満足そうだ。
企業の多くが「キングスカイフロント」に寄せる期待は、さまざまな連携による新たなイノベーション(技術革新)だ。この地区には、ロボットベンチャーのサイバーダインなど、バイオベンチャーや医療機器メーカー以外にも研究拠点を置く企業がたくさんあるからだ。
ナノキャリアが開発を進める「ナノマシン」。患部に薬物がどう送り込まれるかを調べるには精密な画像診断の技術が不可欠だが、ナノキャリアの中冨一郎社長は「そうした技術を持つニコンが進出しているのはありがたい」と、連携を視野に入れる。ペプチドリームの窪田社長も「さまざまな企業とのコラボレーション(協業)が十分に考えられる」とみる。
大田区の中小と交流
20年頃には「キングスカイフロント」と、多摩川を挟んだ対岸の羽田空港国際線ターミナルとを結ぶ橋が架かり、交通上の利便性がさらに向上。さまざまな特色のある技術を持つ中小企業が集積する東京都大田区との交流も深まる期待がある。J&Jの日色社長は「多くの企業と連携し、日本発の技術をわが社の製品を通じて世界に発信したい」と、医療技術の向上とともに日本のモノづくりのアピールにも強い意欲を見せる。(松村信仁)
◇
■キングスカイフロントに進出する主な研究機関、企業
▽実験動物中央研究所
▽川崎生命科学・環境研究センター(LiSE)
神奈川科学技術アカデミー(KAST)
天然素材探索研究所
エスアールエル、ソルベイ日華
川崎市環境総合研究所、川崎市健康安全研究所
▽ジョンソン・エンド・ジョンソン東京サイエンスセンター
▽ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)
ナノキャリア、ニコン、味の素
東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学
国立がん研究センター
▽大和ハウス工業
▽国立医薬品食品衛生研究所
▽日本アイソトープ協会
▽神奈川県ライフイノベーションセンター(LIC、仮称)
▽クリエートメディック
▽富士フイルムRIファーマ
▽サイバーダイン
▽ペプチドリーム
※一部、建設中などを含む
関連記事