原電の東海第2、再稼働へ安全対策を充実 ハード、ソフト両面で
【東日本大震災5年】
日本原子力発電は、東海第2発電所の再稼働に向け、高さ20メートルの防潮堤設置や原子炉を冷却する非常用電源の多様化に力を注いでいる。同時に、所員が緊急時に冷静に対応できるように緊急事態専門組織を常設し、水源の確保やがれき撤去、暗闇での操作などの訓練に励む。ハードとソフトの両面から安全対策に取り組んでいる。
すっかり春めいた3月初旬、原子力発祥の地、茨城県東海村にある東海第2を訪れた。昨年5月に原子力規制委員会に申請した安全審査に適合するための準備が着々と進んでいた。
強固な防潮堤
標高21メートルの高台に行くと、外部電源や非常用発電機が使えなくなったときに備え、大容量高圧電源車が固定化されていた。大容量ポンプ車と長さ2キロのホースを収納したホース延長車もセットで用意。がれき撤去用の重機もあった。また敷地内には小回りの利く低圧電源車が分散配備されていた。
津波対策も、怠りない。東日本大震災などから得られた知見を基に地震の揺れを再評価、基準地震動を従来の600ガルから901ガルに見直した。これにより、地震で発生する津波の想定を最高17.2メートルに引き上げ、敷地の海側に20メートル、側面・背面に18メートルの防潮堤を築く。
一方で、所員の緊急時対応力を磨く。竃(かまど)正夫副所長は「1カ月に1回は(どんな災害を想定しているかを知らせない)シナリオレスで訓練しマルチに対応できる能力を磨いている」と説明する。
というのも「最新の知見をすぐに取り入れ、地震と電源喪失対応の訓練をしてきたから大震災に見舞われても安全に冷却できた」との自負があるからだ。
東海第2は、5年前の3月11日に起きた大震災で外部電源を喪失する非常事態に陥った。しかし非常用ディーゼル発電機が起動し原子炉の安全を確保できた。重大事故を防ぐことができたのは、茨城県による最新評価に基づき津波対策をほぼ終えていたからだ。
東京電力福島原発事故調査・検証委員会の畑村洋太郎委員長も評価した。大震災から約4カ月後の7月15日、東海第2を視察したとき、「単にラッキーな結果だったように見えるが、日頃の努力や取り組みがあってこそ、そうなったのだと思う」と述べた。
想定見直しが奏功
ラッキーな結果とは、自主的に増設した壁が非常用ディーゼル発電機の冷却に必要な海水ポンプを守ったことをいう。
茨城県は2007年に津波浸水想定を見直した。これに基づくと津波の最高水位が5.7メートルに到達すると解析、4.9メートルの既設壁では海水ポンプを津波から守れず、高さ6.1メートルの壁の増設を決めた。完成したのは10年9月で、この判断が奏功した。
ただ震災時には一部防水工事が終わっておらず、ここから海水が浸入。3台のうち1台が使用不能となったが、残る2台で安定した冷却を継続することができた。
震災当時は事務系を統括する立場だった柳原寛司総務室長は「県の新知見を採用したことに(畑村氏は)『すごいこと』といってくれた。結果から新たな対策を打つのではなく、何事も愚直に反省し新たに取り入れるというわれわれの考え方が評価された」と喜ぶ。
日頃の取り組みの成果は危機対応時に随所で表れた。07年の中越沖地震の教訓を生かし対策を打ってきたからだ。危機と隣り合わせの厳しい状況でも、所員は一刻を争う現場で非常用電源の一部停止で新たに必要となる電源の仮設作業、機器の復旧対応に追われた。竃氏は「果てしなく大きくなる揺れを感じたが、所員らの初動は落ち着き、統制も取れていた。『何をすべきか』を考える訓練が役立った」と振り返る。
現場を隅々までよく知る協力会社の力も借りた。当時技術統括だった仲田拓士プラント管理マネージャーは「所員だけでは無理。協力会社とは日頃から良好なコミュニケーションができていたのでスムーズに意思疎通ができた」と述懐する。
東海第2は、東電福島第1原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)。規制委の安全審査は地震・津波対策から進むが、「(BWRの)東電柏崎刈羽原発(新潟県)が合格すると、そのひな型に沿って遅れることなく解答を出せるように頑張る」と竃氏は先を見据える。(松岡健夫)
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