日本酒がワインの国で定着するには 「50年後」に文化は変わる?
イタリアで一番存在感のある中国系食品商社は、イタリアで一番日本酒を売っている。その会社のオーナーに「イタリアで酒が定着するのに、何年かかるでしょうね?」とぼくは聞いた。
「50年でしょう。ワインの国ですから」とあっさりと彼は答えた、
ここで定着の意味をきちんと定義したわけではない。が、ぼくとしてはワインやビールに対する選択肢として、日本酒が飲食店のリストに普通に挙げられるレベルを想定していた。
テーブルに座ったら、「さあ、一日の仕事が終わった。酒でも飲むか」と何も考えもせず自然に日本酒を飲む、というシーンを中国人の彼は定着のレベルと捉えたのかもしれない。
現実を見るならば、イタリアで日本酒がビールやワインと並ぶ位置にはなっていない。まったく、というほどに。
今週、3年目のミラノ酒フェスティバルが二日間に渡り開催された。岩手県や日本酒造組合中央会などが、酒蔵やインポーターと並びスタンドを構えた。
昨年のフェスティバルでは、純米や吟醸など酒のカテゴリー名を知っている人が増えてきたと感じた。酒にはバリエーションがあり、スパークリングや大吟醸を入り口にして、次の世界があると知る人が少なくない、と。
今年は「酒の導入を図っている」と語るイタリア料理レストランのソムリエの言葉をよく聞いた。その一方で、こうした酒への関心の高まりはミラノがイタリアでは突出しており、トリノやフィレンツェではミラノの数年前のレベルとの地域ギャップも確認した。
そのミラノの状況を「パリの10年前だと言われました」と、出展したある地酒メーカーの営業担当は話した。10年前には英国のWSET(ワイン&スピリッツ・エデュケーション・トラスト)の日本酒コースはなかったし、米国発で世界のワイン界を揺るがすロバート・パーカーズの「ワイン・アドヴォケイト」は日本酒を評価していなかった。これらはごく最近の話だ。
だから10年の差があるとの表現は、酒に対して関心のある人に出会う確率を指しているのではないか。あるいは酒インポーターの絶対数を言っている。理解の深さを指しているのではないだろう。
ところでミラノで酒への関心の盛り上がりがあっても、必ずしも酒の流通が並行して同じ調子で伸びているわけでもない。ボトルを買って家呑みするケースは少ないから、バーやレストランでのグラス呑みが主流になるが、前述のように「導入検討中」が多いくらいだから、実際に触れる機会は極めて少ない。
冒頭の中国人は「イタリアに千以上ある中国系経営の日本料理屋で、もっと酒の文化を広める必要を感じている」と、日本文化にも造詣の深い彼は考えている。その時、50年という年数をあげた彼の意図が見えてくる。ボリュームゾーンをどう変えていくかに関心の的があるのだ。
トレンドの先端をいく人たちが酒を好きになり、酒の知識が増え、日本の酒蔵まで足を運んでもらうプロセスを描くことは有益であるが、同時にボトムアップのはかり方を思案するのも大切だ。
中小の地酒メーカーが「それは大手量産メーカーに任せること」と言ってはいけない。それぞれにやるべきことがあるはずだ。
また、いろいろな酒のプロモーションを見ていると、時を急ぎ過ぎている印象を受ける。何かイベントがあると過剰に喜び、数年で酒の受容が急激に変化することを期待した言動が多い。「世の中を変えてやる」という威勢の良い言葉も飛び出る。
ソーシャルメディア時代において、変化が素早いのは事実である。
しかしながら、酒を輸入文化として受けいれる人たちの目からすると、それらの言動は文化の素人と目に映る。日本文化の海外市場への紹介者と自称しながら、文化の構造や性格に無理解であることを自ら暴いているようなものだ。
イタリアで一番酒を売る中国人は、ソーシャルメディアも自ら使いこなし、その威力もよく分かっている。が、文化を理解するプロであると思わせる術も知っている。あえて50年と言うのは、本人が本気でそう考えているかどうかとは別に、文化理解者として振る舞うための策でもありそうだ、とぼくは直感的に思った。
数年で文化を変えると大きな声で叫ぶ人を、他人は信用しない。だからこそ周囲の人間は、「50年を要する」との言葉に腑の落ちる表情をする。(安西洋之)
【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)
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