「売れないわけない」iモード誕生秘話 携帯とネット融合、時代捉えた「i」の文字

 
携帯電話であらゆる情報を―。現在の「当たり前」を生み出した中心メンバーは榎啓一、夏野剛、松永真理(上から時計回り)の異なる才能を持った3人だった

【技術革新とiモード】(1)

 ■ニッポン発のサービス 誕生と挫折

 2016年11月、「iモード」の文字が久しぶりに新聞の見出しを飾った。スマートフォンが主流となり、NTTドコモがiモード対応の携帯電話の出荷を年内いっぱいで終えるというニュースだった。

 「寂しいとは思うが、イノベーションは起こせた。(スマートフォンに)応用されたり、残っていたりしている。なくなったという感覚はない」

 iモードのサービス開発のため、リクルートの女性向け就職情報誌「とらばーゆ」の編集長から転身した松永真理(62)は振り返る。

 「ガラパゴスとも言われるが、iモードは誇るべきコトだったと思う」

 「9割は当たる」

 1997年1月8日、ドコモの栃木支店長だった榎啓一(67)は、東京・虎ノ門の本社社長室に呼び出された。この日、NTTは消費税の5%化を前に、課題となっていた公衆電話の料金について10円のまま通話時間を短くする方針を発表し、翌日の新聞も大きく報じていた。

 ドコモの社長、大星公二(84)は、榎に本社の法人営業部長への異動を告げるとともに、「これをやってくれ」と資料を差し出した。

 「携帯ゲートウェイ」

 携帯電話に有料情報を流し広告収入も得る。コンサルティング会社が提案した、iモードの原型となるビジネスモデルだった。法人営業との二足のわらじ。「携帯ゲートウェイ」事業に部下はいない、社内公募で集めろ、外部採用もOK…大星はそう付け加えた。

 「ラッキーだ。9割は当たる」。榎は直感した。自宅では高校生の娘がポケベルで楽しそうに友人とメッセージをやりとりしていた。「こういう機能をうまく作れば使ってもらえる」

 だが、電電公社に入社以来、インフラを担当してきた榎にとって、有料で提供する「情報」というものがよく分からない。“情報”が分かる人がほしいと、松永に白羽の矢を立てた。松永は、リクルート時代の知人でネットベンチャーを立ち上げていた夏野剛(51)を誘う。榎を含め現在、「iモードの生みの親」と称される3人だ。

 「松永さんはとらばーゆの編集長を終えてウェイティング(待ち)だった。絶頂期ならきてくれなかった。夏野さんも自身の会社がつぶれる寸前。運、人との出会いがよかった」と榎は言う。夏野は米国で生まれたばかりのインターネットに精通してはいたが、立ち上げたベンチャー企業では経営に行き詰まっていた。松永は「語感」や情報の価値を見極めるプロだが、ネットはからきしの「アナログ人間」だった。

 「携帯電話とインターネットをつなげて、なんかするみたいよ」

 夏野は、ネットに疎い松永から、そう誘われたことを覚えている。だが、夏野はその説明に膝を打ったという。

 「そうだ、その手があったか!」

 異業種にも広がり

 「栗ちゃん! iよ、アイだわ!」

 iモード開発部隊の栗田穣崇(しげたか)(44)は、松永と一緒にオフィス街を歩いているとき、突然、そう話しかけられた。

 「携帯ゲートウェイ」と呼ばれていたサービスにどう名前を付けるか。松永にとって大きな課題だった。「ダイナリー」「オスカル」…。広告代理店が次々と持ち込むアイデアに松永は数カ月間、首を振り続けていた。ひらめいたのは空港の情報カウンターなどに使われる「i(アイ)」の文字。その下に栗田が「モード」を付けた。

 iは印象の柔らかい小文字。子音が「m」の言葉には「もりもり」「むくむく」など肉感的なイメージがある。「モード」にはデジタルだが温かいイメージ。五七五調に通じる5文字、そして濁点を含む音感。「とらばーゆ」でも生かされた、松永の名付けのノウハウが随所に盛り込まれていた。

 数カ月後、くしくも米アップルコンピュータが新型パソコン「iMac」を発表。「iPhone」は言うまでもなく、「iPS細胞」など異業種にも広がった。「i」は時代の波を捉えていた。

 当時、多くのメーカーも電子手帳型の情報端末を発売していた。しかし、どれもヒットしたとは言えなかった。榎が目指したのは、新技術を盛り込むことではなく「電話と考えてもらうこと」だった。

 ウィンドウズ95の発売から2年。インターネットという言葉は広がりつつあったが、「パソコンは怖いモノだった。フリーズすると『あなたは不正な操作をした』と出て、作っていた文書が消えちゃう」。パソコンだと思われれば、売り上げは2桁、3桁下がる。

 新端末に、社内からは「画面が小さいんじゃないか」という批判があがったが榎は耳を貸さず、「インターネット」や「ダウンロード」という言葉も使わなかった。

 一方で、夏野は文書形式を携帯電話用の「WAP」でなく、広くコンテンツを募るため一般のホームページと同じ「HTML」と決めた。社内の反発は、社長の大星が封じた。

 「社会が豊かになれば、人間の行動範囲は広がる。売れないわけがないと思っていた。正しいと思ったことをやる責任があると信じて行動した」

 大星はそう当時を思い起こした。=敬称略、年齢は現在

■(2)散々だった記者7人のiモード発表会見 それでも世界伝播へ「行ける」と確信 に続く

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 コンピューターとインターネットが急速に発展し、社会や産業の構造が大きく変わった平成の時代。2017年はAI(人工知能)元年ともいわれている。先行き不透明な時代のなか、日本で生まれ世界をリードしたイノベーション「iモード」の誕生と挫折を検証する。

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【用語解説】iモード

 NTTドコモが1999年2月に提供を開始した携帯電話向けインターネットサービス。専用にレイアウトされたホームページで、天気予報や銀行口座の残高を確認できるほか、電子メールの送受信、ゲームや音楽などが楽しめる。日本国内の携帯はこのサービスをきっかけに、ほぼ通話のみに使用された海外の携帯と異なり、テレビ視聴や防水など高機能化が進んだ。このため、生物が独自進化を遂げた東太平洋のガラパゴス諸島になぞらえて、ガラパゴスケータイ(ガラケー)とも呼ばれた。