JR貨物、継承される鉄道魂 「自分も物資輸送に全力を」

被災地へ 石油列車
JR貨物で運転士として働く千葉健登さん=青森市

 「次に災害が起こったときに自分も物資輸送に全力を尽くしたい」

 日本貨物鉄道(JR貨物)で運転士を務める千葉健登さん(25)は高専から岩手大学工学部に編入。同大学卒業後の進路を物流関係に絞り、第1志望だったJR貨物に入社を決めた。今、青森総合鉄道部所属の運転士として、管内各所に物資を届ける毎日にやりがいを感じている。

 毎日にやりがい

 岩手県奥州市水沢区は、北上川に沿って国道4号線が通り、東北本線、東北自動車道、東北新幹線も並走する交通の要衝。特に東北本線は北海道、東北と首都圏を結ぶ物流の大動脈で、頻繁に通過するコンテナ貨物列車は付近の住民にとってなじみ深い存在だ。

 「母はぐずっている僕を抱きあげて、家の前を通る貨物列車を見せてあやしたそうです。通学時に踏切で引っかかるのはたいてい貨物列車で、頭にきたこともありました」。千葉さんは生まれ育った水沢の思い出を語る。

 2011年3月11日、午後2時46分。一関工業高等専門学校4年生だった千葉さんは春休み中で、原付きバイクに乗って自宅近くの交差点で信号待ちをしていた。「ゴッ」という地鳴りとともに大きな横揺れに襲われた。街路樹は「ビビビッ」と不気味な音を発しながら激しく揺れ、近くのブロック塀が生き物のように波打っているのが見えた。

 情報もなく、不安が募る夜を過ごした。翌日、家の前を歩きながらふと気づいた。昨日から列車が全然通っていない。東日本大震災後の津波警報が全国に発令されたことで、ほとんどの鉄道は停止を余儀なくされていた。東北本線は海岸に近いエリアなどが被災し、全線開通には1カ月以上を要した。

 国道4号からはトラックの姿が消え、物流が途絶えた。間もなく付近の商店から品物が消え、ガソリンスタンドには長蛇の列ができた。ガソリン不足は深刻だった。

 忘れられぬ記憶

 震災から1週間ほどが経過したとき、JR貨物が臨時列車を仕立て、通常とは違う日本海縦貫ルートで根岸(横浜市)から青森経由で盛岡まで石油を運ぶとの新聞記事を見た。記事には新潟経由で磐越西線ルートを活用する石油輸送計画も書かれていた。「そうか、太平洋側が被災してもレールがつながっていれば貨物列車は走れるんだ」。千葉さんは「すごく勇気づけられた」という。当時の記憶は忘れられない。

 今、青森の街を歩くと、週刊誌や漫画雑誌が発売に合わせて店頭に並ぶ。多くはJR貨物のコンテナ列車で運ばれてきたものだ。当たり前の日常は、絶え間ない物流が支えている。すべての物流が止まったあの日の不安を忘れずに、目的地に確実にモノを届ける毎日を送りたいと、千葉さんは話す。JR貨物によると、新卒採用試験で東日本大震災時の対応、とりわけ臨時石油列車の運行に感銘を受け、受験者が増えたという。

 貨物列車は、柔軟な配送に対応できるトラック輸送などに押されてきた経緯があるが、少ないエネルギーで大量輸送できる利点が見直されている。大震災では鉄道網だからこその迅速な大量輸送の特徴が強みを発揮した形だが、実は少しでも判断を誤れば失敗する薄氷の石油輸送作戦だった。

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 11日で発生から6年となる東日本大震災では、JR貨物をはじめ多くの企業が死力を尽くして被災地への物流を支えた。当時不明だった石油輸送作戦の舞台裏を明らかにする。